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御霊土拝戴式(首塚)
投稿日:2019年4月11日(木)
今日は4月11日(木)は「天赦」(てんしゃ)。暦を紐解くと、「天赦日の略。暦面第一の極上吉日で古暦に「てんしゃよろつよし」と註した日取りである。六十干支の四中点選び、春は戊寅・夏は甲午・秋は戊申・冬は甲子の日をこれに当てる」とあります。六曜では先負ですが、日の吉凶の見方は様々。方位・日柄を気にせずに日常を過ごすには、八方除の御祈願です…権禰宜の新久田です。
さて、去る4月1日の月次祭後に旧東海道(国道467号線)沿いにあります義経首洗い井戸・首塚にて御霊土拝戴式を執り行いました。
本年が御祭神 源義経公没後830年と藤沢市の首塚と宮城県栗原市の胴塚の御霊が合祀されてから20年の節目の年を迎えるにあたり、「源義経公 聖地巡礼・ご神威発揚の旅」を行います。
源義経公 没後810年には、栗駒と藤沢の両地での慰霊祭の後、栗駒の菅原次男氏が御霊土(みたまつち)を担いで往復一千キロの道程を歩き、鎮霊碑(白旗神社)・奥津城(栗駒)が建立され、御首と御胴体が合わせてお祀りをされました。
この度の記念事業では、栗駒・藤沢でそれぞれ慰霊祭を行うと共に、胴塚の御霊土を担いで源義経公所縁の地を徒歩巡礼し御霊の慰霊を行うと共に、ご神威の益々の発揚を願います。
徒歩巡礼者として古美根菓子舗の小峯氏(白旗神社 森脇町総代・横町山車囃子保存会 会長・牛若会会員)が担いで下さいます。
そして、源義経公 聖地巡礼・ご神威発揚の旅の出発・見送りを4月16日・17日の1泊2日の旅程で行う「源義経公胴塚慰霊祭並聖地巡礼奉告祭参列と世界遺産 奥州平泉を巡る 源義経公を偲ぶ旅」で行います。
首塚にて行いました御霊土拝戴式では、徒歩巡礼者の小峯氏と領家町の小林総代参列のもと源義経公没後830年慰霊祭を行う事の奉告と聖地巡礼の安全を祈念申し上げ、御霊土を拝戴しました。
当日は爽やかな春の陽気の中、滞りなく御霊土拝戴式が修められました。
来たる4月14日(日)午前8時30分には、白旗神社本殿にて聖地巡礼奉告祭が行われます。
本殿にて奉告祭後、白旗神社 源義経公鎮霊碑前にて聖地巡礼鎮霊碑奉告祭が行われ、鎮霊碑(白旗神社)の御霊土を拝戴します。
また、記念事業としましては、以下に掲げる事を行ってまいります。
是非、ご協力とご奉賛のほど、宜しくお願い申し上げます。
【御大典奉祝・源義経公没後830年・鎮霊碑合祀20年 記念事業 ご奉賛のお願い】
白旗神社では、御祭神 源義経公 没後830年の節目の年を迎えると共に、新帝陛下の御即位をお祝い申し上げるべく、下記の通り記念事業を実施致し、氏子崇敬者各位のご支援をお願いすることとなりました。
この度の記念事業では、「鎮霊大祭の斎行」、「源義経公 聖地巡礼」、「義経公・弁慶公 銅像建立」「境内整備事業」など四つの事業を中心に計画致しました。
とりわけ、藤沢市の首塚と宮城県栗原市の胴塚の御霊が合祀されてから二十年の節目を迎えるにあたり、義経公所縁の土地を歩いて巡ることで御霊の御威光の愈々の御隆昌と御安泰を期す予定でございます。
この記念事業は、白旗大明神の御加護はもとより、氏子崇敬者各位の物心両面に亘る御奉賛なくしては完遂でき得ぬ事業であります。
つきましては、何卒この趣旨に御賛同賜り、格別なる御芳志をもって御奉賛賜りたくお願い申し上げます。
白旗神社 宮 司 鈴木 大次
責任役員 廣瀬 政久
責任役員 大澤 廣和
白旗神社記念事業奉賛会 会 長 山口 孝幸
(白旗神社氏子総代会 会 長)
副 会 長 島津 宏幸
(白旗神社神輿保存会 会 長)
副 会 長 山本 勝
(白旗神社牛若会 会 長)
監 事 小峯 憲
(横町山車囃子保存会 会 長)
監 事 小澤 幸一
(本町白旗商店街振興組合 理事長)
監 事 山田 茂
(白旗神社氏子総代会 監 事)
【ご奉賛申込み要領】
記念事業ご奉賛金 一口 金 5,000円(何口でも承ります。分納でも承ります。)
※ご奉賛者様のご芳名は、本殿内に奉安いたしますと共に境内に掲示させていただきます。
※10万円以上ご奉賛者様は銅像台座後ろにご芳名を記載させていただきます。
●記念事業総経費…4000万円
●神社拠出金…2000万円
●募金目標…2000万円
●募金期間…新元号2年9月末
●募金方法…現金、または振込みでも承ります。白旗神社社頭にございます「ご奉賛のお願い」付属の振込用紙をご利用いただけます。(誠に恐れ入りますが、手数料のご負担の程お願い致します)
●振込先口座番号…ゆうちょ銀行 00230-4-139807 宗教法人 白旗神社
以下にお示ししております事業にご奉賛頂ける方は、上記ご奉賛申込み要領に拠りご奉賛頂ければ幸甚に存じます。
【源義経公 聖地巡礼・ご神威発揚の旅】
源義経公は、文治5年(1189)閏4月30日に奥州平泉の衣川館にて31歳の若さで自害され、その御首は43日間をかけて鎌倉に送られ、腰越の浜で首実検の後、金色の亀に乗り白旗川に辿り着いたと謂われています。その御首を見た里人たちは、近くの井戸で洗い清め、塚を作って丁重に慰霊したと伝えられています。
一方、衣川の館に残された御胴体は、義経公と親交のあった沼倉小次郎高次の手によって、自身の館があった奥州栗駒(宮城県)の判官森に埋葬されたと伝えられています。
時は流れ、義経公没後810年(平成11年)、両地での慰霊祭の後、栗駒の菅原次男氏が御霊土(みたまつち)を担いで往復1,000キロの道程を歩き、鎮霊碑(白旗神社)・奥都城(栗駒)が建立され、御首と御胴体が合わせてお祀りをされました。
この度の記念事業では、栗駒・藤沢でそれぞれ慰霊祭を行うと共に、胴塚の御霊土を担いで義経公所縁の地を徒歩巡礼し御霊の慰霊を行うと共に、ご神威の益々の発揚を願います。
【源義経公 没後830年 鎮霊大祭の斎行】
鎮霊祭は、栗駒(宮城県栗原市)の胴塚と当地の首塚の御霊を合わせて祀り「鎮霊碑」が建立された平成11年から、義経公が首実検された6月13日に毎年執り行われております。
没後820年(平成21年)には神社史上初めての鎮霊大祭が斎行され、義経公が愛妾した静御前による静の舞が奉納され、820年ぶりの再会が果たされました。
この度も、鎌倉 鶴岡八幡宮で静の舞を奉納されている花柳流 花人会御一門により静の舞が、鎮霊大祭に合わせて奉納され、義経公の御霊をお慰め申し上げます。
【義経公・弁慶公 銅像建立】
義経公・弁慶公の御首は、文治5年(1189)6月13日に腰越の浜で首実検の後、金色の亀に乗り当地に辿り着いたと伝えられています。
義経公の首塚は、現在の位置より北に40メートル、当社から南に150メートルの場所にあり、その御霊は当社に祀られました。
一方、弁慶公の弁慶塚は藤沢宿 常光寺内にあり、その御霊は常光寺内の八王子社に祀られていましたが、現在は塚のみを残しています。一般的に神社は南向きか東向きに建てられていますが、この八王子社に限っては、主君 義経公が祀られている白旗神社の方を向いていたため北向きに建てられていたと謂います。
主従の永遠の平安を願うと共に、当地でも愛され続けている証を、銅像として永代に亘り遺したいと思います。
【境内整備事業】
当社では、戦後荒廃した神社を復興するべく、多くの氏子崇敬者の皆様方のご理解とご協力をいただき、昭和47年の社務所建設に始まり、神社の尊厳護持とご参拝の方々の利便性を考えた境内整備事業を行って参りました。
この度は、夜間参拝の利便性を図るべく、参道を中心に境内全域の照明設備を施工致します。
また、ご参拝の皆様の身体健全を一層増進することを目的に、罪穢れを流す(仮称)「みそぎ川」の新設工事を計画しています。
以上