投稿日:2019年4月28日(日)
【神道百言㉒】
『古道(ふるみち)につもる木(こ)の葉をかきわけて 天照(あまて)る神の足跡を見ん』~二宮尊徳・二宮翁夜話~
(我が国では天照大御神を皇祖とも国民の祖神とも仰いでゐる。天照大御神の御言葉、御行為は古代の古事記・日本書紀等に載せられてをり、これらを「古道につもる木の葉」にたとへたものである。それらをかきわけ、よく検討して、初めて、そのうちにある大御神の言行の意味を尋ね、仰いでいくやうにしたい。)
二宮尊徳は約200年前、今の小田原市出身で、小田原に鎮座されます報徳二宮神社に御祭神として祀られています。古事記が編纂されて1.300年。その間、こうして誰かが読んでいたから、誰かが研究していたから、今でも読まれる書物なんだなぁと、当たり前ながら当たり前じゃない、こうした民族に生を受けたことに感謝しております。宮司です。
さて去る4月16日(火)午前10時より、宮城県栗原市 栗駒山の麓にあります判官森(はんがんもり)におきまして【源義経公没後830年記念事業】『源義経公 胴塚慰霊祭並御霊土拝戴式』を執り行いました。
まず、前日夕刻に神職2名、鳶頭2名、聖地巡礼者 小峯様にて、20年前に聖地巡礼をされた菅原次男様が営まれている「くりこま荘」に宿泊。一昨々年に当社で栗原神楽(くりばらかぐら)をご奉納下さった佐藤会長、義経公一行が宿泊したと謂われる栗原寺(りつげんじ)髙橋住職、義経公胴塚墓守(はかもり)菅原様、栗駒地区行政区長様など多くの方に歓迎いただきました。ありがとうございました。
菅原様、住職様より、旅の杖を贈呈いただきました。
翌日、快晴のもと斎行致しました慰霊祭・御霊土(みたまつち)拝戴式は、墓守の菅原様にもお手伝い頂き、竹や祭壇・神饌(お供え物)・装束など全てを手運びで山を往復し、定刻午前10時から祭典を執り行い、義経公の御霊をお慰め申し上げました。祝詞奏上の途中、強い風が吹くことがあり、また自然と涙が溢れ、大変感慨深い奉仕となりました。
祭典終了後すぐに片付けを行い下山、麓にあります首塚・胴塚の御霊を合わせ祀った『奥津城』(おくつき。お墓のこと)に移動。藤沢市から慰霊の旅に参加下さった方々と行う聖地巡礼奉告祭の準備を行いました。その様子は次回のブログでご紹介致します。
尚、藤沢市の郷土歴史家 平野雅道様と菅原次男様の出会いなど、当時のブログをご紹介致します。
【今日のフジの様子】