投稿日:2019年4月29日(月)
【神道百言㉓】
『幾そたびかき濁(にご)してもすみかへる 水や皇国(みくに)の姿なるらむ』~八田知紀・しのぶぐさ~
(水は一度は濁つても、やがて澄み清くなるやうに、日本の変動も、やがては落ちつくところに落ちつくであらう。日本の国では必ず天皇を中心に落ちつくところに落ちつくことを述べたものである。戦後の変動の激しさを見て、日本はこれからどう変化するのであらうかとの嘆きに対し、永い眼で見るべきことを教へたものともとれよう。)
天子様の御代が続く限り日本は存続し続ける。いつの時代の人びともそう思っていたという、永遠の連続の中に今がある。これこそ神道で大切にしている『中今』(なかいま)ということでしょう。私たち全員が歴史の継承者。宮司です。
前回の投稿に続き、4月16日(火)正午より、宮城県栗原市判官森の麓にあります『源義経公 奥津城』におきまして慰霊祭・聖地巡礼奉告祭を、栗駒の方々と藤沢市から約20名の参列をいただき執り行いました。
斎場(向かって左)には20年前に菅原次男さんが聖地巡礼の際に担いで歩かれた兜と笈(おい)、右には鎧、斎場近くには杉板の襖絵を舗設して下さいました。
神楽『初能』(はのう)を奉納致しました。
神社関係者を代表して、白旗神社氏子総代会・記念事業奉賛会 山口会長の玉串拝礼。
20年前に聖地巡礼を行い、首塚・胴塚の御霊を合わせ祀った菅原様の玉串拝礼。(白旗神社では鎮霊碑、栗駒では奥津城と命名されています)
判官森 墓守り隊 菅原隊長の玉串拝礼。当日使用した竹8本(胴塚・奥津城各4本)をご準備下さいました。
義経公一行が宿泊した栗原寺(りつげんじ)髙橋住職。所用の後、大急ぎで駆けつけて下さいました。
聖地巡礼者 小峯 憲(あきら)様。
参列者を代表して、白旗神社鳶頭に合わせて皆で拝礼いただきました。
その外、前日くりこま荘にお越し下さった方々に加え、栗原市役所栗駒総合支所長様、栗原市観光物産協会会長様、大崎タイムス栗原支局様など、ご参列ありがとうございました。
祭典後には、胴塚・奥津城におきまして、藤沢の首塚から拝戴致しました御霊土を合祀し、御霊の安泰と御神威の益々の発揚を祈念致しました。
祭典執行に際しましては、昨年10月の下見の時から鳶頭の髙岡様・渡邊様、巡礼者の小峯様に絶大なるお力添えを賜りました。また、20年前の巡礼者でくりこま荘の御主人 菅原次男様には、様々なご助言と篤いおもてなしを賜りました。墓守の菅原様には事前の打ち合わせ・調整から、当日の準備・おもてなし(次回報告)を賜りました。
お力添え下さいました皆様に心より御礼を申し上げます。ありがとうございました。
(祭壇等の祭具など一式は、遠藤権禰宜夫妻が自車で現地まで往復しました)
尚、その後の団体バス旅行につきましては、次回ご報告させていただきます。