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【神社新報コラム】「杜に想ふ ~菅公と酒とアルハラ~」

投稿日:2019年3月4日(月)


菅原道真公は梅花をこよなく愛されたといいます。昨日・今日の雨で境内の梅も散り始めています。

白梅が咲き誇っている様子を見ると、ポップコーンが食べたくなってしまう…花より団子な権禰宜の遠藤です。

さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』平成31年1月14日号掲載のコラム「杜に想ふ~菅公と酒とアルハラ~」をご紹介致します。

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杜に想ふ 菅公と酒とアルハラ

【杜に想ふ~菅公と酒とアルハラ~】

「このエッセイ気取りの駄文が諸賢の目に触れるのは、すでにお屠蘇の酔ひも醒めた頃合ひだらうか。いやいや、やうやく初詣や年始の挨拶廻りも一段落し、これから方々との新年会にも移ろふのか。或いはまだ節分まで臨時態勢のやまぬ社寺や、また正月定番の落語「初天神」の賑はひ宜しくこれから初縁日を迎え、再び人出が増すといふところも多いか。

落語ついでの三題噺といふことでもないが、「エッセイ」「お酒」「天神様」で思ひ出されるのは、私淑する歴史学者・坂本太郎博士の随想「菅公と酒」だ。実証史学を旨とされた博士の、史料に対して真摯な人柄が偲ばれる一篇である。

この随想は、菅原道真公の伝記に「性酒を憎まず」とあることに着目し、道真公の漢詩から彼の酒に対する態度を考察したものだ。

当時の貴族の常として酒席にも臨んだ道真公はしかし、恐らく体質的に酒が弱かった。公の詩中には「強ひて酒半蓋を傾ける」とあるが、文学的誇張はあれ、そこからも下戸であったことが推測されてゐる。道真公の薨後、彼が仕へた宇多法皇は御所に酒豪を集めて飲み競べを催した。酒に耽溺した貴族社会にあって公は、嗜むと言えるほどは飲めなかったのだらう。ちなみに、坂本博士御自身も下戸であったらしい。

「菅公と酒」の初見は学生時分だが、そのときにふと思った。全国の天満宮では日々神僕に酒があげられてゐるが、これは祭神へのアルハラ」(アルコールハラスメント)にはならないのだらうか、と。世間を知らぬ学生らしい管見だったと、今では恥ぢるばかりだ。

社会人ともなれば酒宴の席が増えるのは、平安朝と同じだ。そこでは酒の弱い人と飲む機会も多いが、必ずしも弱い人が酒を嫌ふわけではない。寧ろ酒の味はひを楽しむ下戸の友人もある。道真公も親友と、または客を招いて小飲してゐた。憂世の愁ひを散じるため呷(あを)る酒もあれば、仲間同士の親睦を深める酒もあらう。下戸の祭神に酒を奉ることを以てすはアルハラだとは、早計も良いところだ。

勿論、俗に人間関係の潤滑油にも例えられるとほり、酒は平素からの関係性を浮彫りにする。良好な人間関係はより良好に、さうでない関係ではアルハラとなり易い。対酌には平素以上に相手への敬意が求められる。神と人の関係も同様に、祭神への「アルハラ」とならぬやう常の赤心が重要だ。

そして何より酒は、秋の稔りを人の技術を尽くして醸し、これを捧げて神恩に感謝する、神の恵みだ。神をもてなした後には我々も戴く。このやうな酒を、単に騒ぐために使ひ、況や他者に強要するやうな行為は、神道人としてもできるものではないはず。

今年も酒の席は多からう。学徒としては当然及ぶべくもないが、せめて酒徒としては菅公に顔向けできる一年としたいものである。」


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