投稿日:2023年7月24日(月)
【暦で見る九星の運勢シリーズ】六白金星:8月(各自の九星についてはブログ末尾の表をご参照ください)「吉方…なし 真夏の太陽の如く暑い運気となりますが、あまり感情的にならないように注意を。焦ると見える物も見えなくなり、見逃す恐れがあるから気を付けて。イライラするとミスを招く。」とのことです…権禰宜の遠藤です。
さて、本日は神社界唯一の業界紙であります、『神社新報』令和5年6月26日号掲載のコラム【刀剣は語る~その参拾漆~】ご紹介致します。
【刀剣は語る~その参拾漆~湊川の慶喜公の短刀】
「若者で賑はふ神戸駅前から数分、緑の杜に囲まれて湊川神社はあります。
激動の鎌倉末期から南北朝期、後醍醐天皇に応じて兵を挙げ名を馳せた武将・楠公こと楠木正成公を主祭神とする神社です。
今から七百年前、楠公が湊川の戦ひで亡くなったといふ地に明治五年に創建されました。
楠公最期の地は、国指定史跡に。薄暗い木陰にこんもりとした塚がひっそりとありました。
楠公は、鎌倉幕府倒幕の兵を挙げた後醍醐天皇に応へ、知略でもってわづかな兵で敵方を翻弄し、倒幕への気運を高めます。
その後も、「建武の中興」に際して多くの武士が足利尊氏になびきますが、最期まで後醍醐天皇に忠義を尽くしました。
史跡「楠木正成墓碑」の前には、楠公を敬慕する志士の名を刻んだ石灯籠が仕へるかのやうに立ち並んでゐます。
伊藤博文、大隈重信、江藤新平 —天皇中心の政治に戻さうと動いた幕末の志士たちが、自らのおこなひと、楠公の戦ひを重ねてゐるかのやうです。
その神社に、徳川幕府最後の将軍・徳川慶喜公ゆかりの短刀が奉納されてゐると知り、驚きました。
奉納の経緯は詳しくはわかってゐませんが、眼前にした短刀、重要刀剣「銘国時」です。
長さ二十四センチ余り、澄んだ地肌に直刃がすっと入る短刀姿は、端正で清々しさを覚えます。
刀工の国時は、肥後国(熊本県)で鎌倉末期から室町時代にかけて活躍した延寿派の一人。
山城国(京都府)の来派の流れを汲む延寿派は、始祖の国村が延寿太郎を名乗ったため、「延寿」と称しました。
また、延寿派は南北朝時代、南朝の雄として知られる菊池一族に属したため、その刀剣は勤王家の間でとくに珍重されるやうに。
菊池一族は、楠公が信義を貫く姿勢を評価し朝廷に進言したこともあり、肥後の領主となったことに恩義を感じ湊川の戦ひに参陣しました。
楠公とともに自刃した菊池武吉は、湊川神社の御祭神に名を連ねてゐます。
その延寿派の短刀が、徳川将軍から湊川神社に奉納されてゐるのです。
「何より楠公を江戸の時代に忠義の人と評価したのが、光圀公ですから、水戸藩出身といふ流れからは、案外、ここにあるのも納得できるかもしれませんね」と岡村光浩権禰宜は話してゐました。
なるほど、慶喜公は水戸藩主・斉昭の七男。この短刀は、天皇との堅い絆で結ばれた楠公と菊池一族への慶喜公の憧れを思はせました。
明るい境内では、若い女性の姿も見かけます。楠公が纏ぶ数々の物語は時代を超えて、日本人を 魅了し続けてゐます。」
湊川神社
祭神= <主祭神>楠木正成公(大楠公)、 <配祀〉 楠木正行公 (小楠公) 湊川の戦ひで殉節された一族16柱並びに菊池武吉卿
鎮座地 = 兵庫県神戸市中央区多聞通3-1-1
☎ 078-371-0001」