投稿日:2017年8月31日(木)
権禰宜の遠藤です。
さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』平成29年6月12日号コラム「神宮だより」をご紹介致します。
「【神宮だより ~おかげ参り~】
江戸時代、神宮へのお参りの流行を「おかげ参り」といひました。
約六十年周期で流行し、慶安三年(1650)、宝永二年(1705)、明和八年(1771)、文政十三年(1830)の四回がこれにあたります。但し、慶安三年は江戸中心で全国規模での流行ではなく、白衣を着た巡礼スタイルが残ってゐたので、宝永以降の近世的なおかげ参りとは区別されることもあります。また、「おかげ参り」の呼称は明和で定着したと考へられ、それまでは「抜け参り」などと呼ばれてゐました。
女性や子供も参加した流行時には、道中で駕籠や宿、食事などを無料で提供する施業があったため、少ない路銀で参詣することができたと伝へられてゐます。「おかげ」といふ言葉には「降札」によって抜け参りができるといふ意味と、道中の施業によって旅ができるといふ二つの意味があったとされ、「おかげでさ、抜けたとさ」はおかげ参りの囃子詞でもあります。
このおかげ参りに際し、どれほどの人々が伊勢を目指したのかは、明和八年について『続後神異記』に記録があり、これによると四月八日から八月九日までの百二十日ばかりの間に、二百万人を越える人々が宮川の渡しを通過したとあります。さらに文政十三年では『文政神異記』と『おかけまうての記』によると約四百五十七万人が宮川を越えた記録が見受けられます。
当時の人口が約三千万人であることを考へるとおよそ六人に一人が伊勢に向かったことにになり、伊勢信仰がいかに大きかったかが推測できます。」