投稿日:2022年7月6日(水)
昨日は台風も温帯低気圧に変わり神社の周辺は大きな被害もなく通過したようでほっと胸を撫でおろしております、権禰宜の牧野です。
さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』令和4年3月28日号掲載のコラム「刀剣は語る~その弐拾壱~」をご紹介致します。
【刀剣は語る ~その弐拾壱 八幡神とクリス】
まるで神話から抜け出てきたやうな刀剣。その不思議な姿に足を止めました。京都国立博物館、そして昨年のサントリー美術館に出展されたクリスと呼ばれる剣です。
刃長三十四・五センチほどの短剣。青緑色の刀剣は峰にむけて蛇行するやうにうねり、左右非対称の形は、大きさ以上の存在感を放ってゐますこの短剣は、インドネシア共和国では国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産(工芸)に登録されてゐるクリスで、インドネシア周辺地域の伝統的な存在であることを知りました。その異国の短剣が、京都の石清水八幡宮の神宝として伝はってゐたのでした。
石清水八幡宮は。京都の南、八幡市の小高い男山に鎮まります。桂川・宇治川・木津川の三川が合流し、一筋の淀川となる交通の要衝地です。ここに八幡さまが鎮まったのは、平安時代初め、貞観二年(八六〇)のこと。奈良大安寺の僧・行教が九州の宇佐八幡宮から勧請したのが始まりです。
都から離れた九州豊前の宇佐(現在の大分県北部)に現れた八幡神は、奈良東大寺の大仏造立の際に力を発揮し、東大寺の境内に手向山八幡宮としてまつられます。そいて平安時代、平安京の国家鎮護の神となるのです。
京の石清水八幡宮に異国のクリスがいつ、どのやうにもたらされたのでせうか。石清水八幡宮によれば、詳細は不明ですが、十七世紀以前といひます。「石清水八幡宮の影響力は平安時代から江戸時代にかけて南は九州にまで及んでをり、九州にある当宮の別宮を通して海外貿易の品が運ばれてゐた可能性が考えられます」。八幡神が大陸とのつながりが深い九州から勧請されたやうに、クリスもまた九州を経由して伝はってきたやうです。
八幡宮所蔵の文献『行教和尚所持之劔』には宿坊の一つであった中坊に伝来した神功皇后の御物とも記されてゐます。神仏習合の時代、男山は山全体に神社の鳥居と寺院の堂塔が入り交じる状態でした。研究者のなかには雨乞ひの祈禱に使はれたといふ指摘もあります。なるほど、この短剣ならば雨も降るかもしれないと感じ入りました。蛇行する形は稲妻を連想させ、いかにも雨乞ひ祈禱の法具として威力を発揮しさうです。都人から畏怖されてゐた短剣だったのではないでせうか。
神仏分離後、八幡宮の神宝となった異国の短剣からは、八幡神の懐の深さと強さが伝はってきます。「世は変はれども神は変はらず」という八幡さまの託宣が聞こえてくるやうです。
【白旗まつり日程】
【参道ライトアップ一時休止のお知らせ】
この度の電力需給逼迫による節電要請に伴い、本殿・参道・鳥居にて行っている夜間照明を当面の間休止致します。
従前より点灯しておりました参道燈籠・本殿吊灯籠の灯りは点灯致しますので、夜間の参拝にご不便は無いかと存じます。
何卒ご理解の程お願い申し上げます。