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【神社新報コラム】刀剣は語る~桑名の村正~

投稿日:2021年5月13日(木)


【暦で見る九星の運勢シリーズ】三碧木星:令和3年6月(各自の九星についてはブログ末尾の表をご参照ください)「吉方…なし 諸事、良い方向に動き出し一安心しますが、気を抜かないようにより一層の努力を続けて。事業等でも商談成立の一歩手前まで行くので、最後の詰めをしっかりと。油断は禁物。」とのことです…権禰宜の遠藤です。

本日は、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』掲載のコラム「刀剣は語る」よりシリーズでお送りしています「桑名の村正」を御紹介致します。

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【刀剣は語る~桑名の村正~】

「刀といふものは、逸話をもてばもつほど「名刀」に、そして時には「妖刀」と呼ばれることも。

これが村正か――。三重県の桑名市博物館で初めて村正の太刀を拝見したとき、その黒い刀身にとまどひを覚えました。

聞けば、大東亜戦争の非常時、保護のために刀身の全体に漆を塗装し、疎開させたためといひます。正直、ほっとしました。「中にはさすが村正、血塗りの刀といる方もいらっしゃいますが」とは、同博物館の杉本竜館長。漆塗りの太刀二振りの刀身には、「春日大明神」、「三崎大明神」と桑名市の桑名宗社(春日神社)の神号が漆越しにも見え、神社へ奉納した刀とわかります。

伊勢国(三重県)桑名に在住した刀鍛冶、村正。隣国の美濃(岐阜県)から桑名に移り、室町時代後期から江戸時代にかけて何代かに互り続いたと考へられてゐます。徳川家に仇なすといはれた村正の刀は、なんといってもよく切れると評判で、近くの三河(愛知県)の武士に人気が高かったやうです。村正の刀によって家康の祖父が切りつけられたり、実子の切腹の際の介錯に使はれたりしたのも、多くの武士が所有してゐたことの廻り合はせ。当の家康も村正の刀を所有してゐました。

黒の村正が研磨されたと聞いて、桑名宗社へ向かひました。令和の御大礼を祝ひ、刀身の漆を取り除き、研磨したといふのです。特別公開の会場は、揃ひの法被を着た氏子たちが案内役などを務め、晴れやかな雰囲気に包まれてゐました。

そんな中で公開された一振は、みごとに光を放ってゐました。吸ひ寄せられるやうに近づくと、白銀の刀身に、波打つやうにうねる刃文、神号「春日大明神」の彫りも輝いてゐました。漆の下に、よもやこんなに美しい肌があったとは。氏子たちの誇らしげな様子が窺へました。

この太刀の茎には、室町時代後期の「天文十二年五月」の年紀が刻まれてをり、製作時期が明らかな上、「勢州桑名郡益田庄藤原朝臣村正作」と十五文字の長々とした銘が切られてゐます。天文12年(1543)といへば家康はまだ一歳、種子島に鉄砲が伝来した頃です。長い銘文からは、一派を率ゐていく刀鍛冶としての覚悟のやうなものが伝はってきました。

同社の不破義人宮司は、研磨された村正を初めて手にしたとき、鳥肌が立ったと教へてくれました。「自分の姿が刀身に映るのを見て、鏡のやうだと思びました」。

まるで刀身が鏡のやう、不破宮司の言葉に、刀を奉納する刀鍛冶の気持ちが推し量れました。姿まで映すやうな刀、満足のいく刀を打つことができた喜び、自らの技術と力を出し尽くした達成感。だからこそ、自らが暮らす桑名の総鎮守社である桑名宗社、桑名神社と中臣神社の神号を彫り、一振づつ奉納したに違ひありません。

戦後75年ぶりに、白銀の肌が戻った村正の奉納刀。鏡のやうな刀身にふっと浮かび上がったのは、切れる刀をひたすらに作り続けた実直な刀鍛冶の姿でした。逸話とはいったい何ものなのでせうか。

桑名宗社(桑名神社・中臣神社)

祭神…天津彦根命・天久々斯比乃命(桑名神社)、天日別命(中臣神社)

鎮座地=三重県桑名市本町46 ☎0594-22-1913」

R3厄年表


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
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