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【神社新報コラム】刀剣は語る「平家納経の剣」

投稿日:2021年9月20日(月)


今日9月20日(月)は敬老の日。「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」祝日です。戦後、兵庫県多可郡野間谷村(現在の多可町)の門脇政夫村長が提唱した「としよりの日」が始まりで、「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、昭和22年から、農閑期に当り気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、敬老会を開きました。その後全国に広まり、昭和41年より「敬老の日」として祝日になりました。祝祭日には国旗を掲げてお祝いしましょう!権禰宜の遠藤です。

国旗

さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』掲載のコラム『刀剣は語る』よりシリーズでお送りしています「平家納経の剣」を御紹介致します。

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刀剣は語る0913

【刀剣は語る~その15 平家納経の剣~】

「古来、人々は神に祈り、願ひを届けるためにさまざまなものを奉納してきました。

「安芸の宮島」として知られる広島県廿日市市の厳島に鎮座する嚴島神社。ここに平安時代末、平清盛によって奉納された、美しいお経の巻物があります。国宝「平家納経」です。お経を神社に奉納する、神仏習合の時代はごく普通のことだったのでせう。

瀬戸内海に浮かぶ厳島は、古くから島全体が神として崇められてきました。嚴島神社の創建は推古天皇即位の年の593年と伝はります。そこに、貴族の住居である「寝殿造」様式の華麗な社殿が建てられたのは仁安3年(1168)、保元・平治の乱で勝利した清盛によってでした。

平家納経は社殿造営の四年前のこと。特別に拝観すると、金銀箔、彩絵、染紙などさまざまな技法が駆使され、その豪華さは想像以上でした。清盛が、平家一門の繁栄を願ひ、子弟や家臣ら三12人に写経させた経巻。時の権力を手中に納め、また宋との貿易で富を得てゐた清盛は、当時の最高の技術でもって、現世利益を願ふ法華経を最高に美しく飾り、奉納したのです。

嚴島神社には、武家の象徴である刀剣も数多く残ります。平家の奉納とされる国宝の古備前、銘「友成作」の太刀をはじめ、鎌倉将軍家、中国地方に覇を唱へた大内氏、毛利氏など。神社にはじつに平安時代後期から江戸時代まで、長い期間に亙る奉納刀が伝はってゐました。

しかし、清盛が納めた刀剣はありません。清盛は貴族化したとはいへ、武将としては意外なことでした。

平家納経に、刀剣を見つけました。右手に剣、左手に水瓶を持つ長い黒髪に雅やかな装束を身につけた女人の姿が描かれてゐたのです。『法華経涌出品第十五』と、『観普賢経』の見返しの絵。とくに『観普賢経』には、まっすぐに立てた剣をじっと見つめる女人の姿が大きく描かれ、神秘的なものを感じました。

なぜ、宮廷の女房のやうな女人が剣を持ってゐるのか、じつは、この女人は法華経の受持者を守る十羅刹女(じゅうらせつにょ)といふ鬼神の一人、黒歯(こくし)と考へられてゐます。当時はこの鬼神を女人の和装姿で描いたのです。

神も仏もといふ神仏習合の時代に作られた、平家納経。そこに描かれた剣からは、平家一門を守ってほしいといふ清盛の願ひが伝はってきます。すると、剣を見つめる女人が、清盛の姿と重なりました。栄華を極めた清盛は、どこかで「盛者必衰の理」を感じてゐたのかもしれません。」

 

嚴島神社

祭神=市杵島姬命・由心姬命・湍津姬命

鎮座地=広島県廿日市市宮島町1-1

☎=0829-44-2020

宝物館

拝観時間=午前8時~午後5時


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
ぜひ早起きした朝やお休みの日にでも、お気軽に当社にお越しください。皆様のご参拝を心よりお待ちしております。