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【神社新報コラム】刀剣は語る「石上の七支刀」

投稿日:2021年5月29日(土)


義経藤の蔓が社務所に向かって伸びてきました。そろそろ第1回の剪定時期になります…権禰宜の遠藤です。

さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』掲載のコラム『刀剣は語る』よりシリーズでお送りしています「石上の七支刀」を御紹介致します。

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【刀剣は語る その9 ~石上の七支刀~】

「日本の古代を大きく語る刀剣があります。

かつての大和国(奈良県)、布留山のふもとに鎮まる石上神宮は、神剣に宿る石上大神をまつります。その神社に古より伝来するのが、「七支刀」です。

国宝の七支刀。その特異な「かたち」は今の若い世代も魅了し、アニメなどにも取り入れられてるます。長さ七十五ッほどの両刃造りの剣身、すでに鉄さびに覆はれてゐますが、その両側に小枝がにょきにょきにょきと三本づつ分れ出てゐるのです。神社では「六叉鉾(ろくさのほこ)」と呼ばれてきました。この形は、牡鹿の角か、木の枝か、それとも……その来歴は七支刀に刻まれてゐました。剣身の表裏合はせて六十あまりの金象嵌の銘文からは、『日本書紀』に記された神功皇后摂政五十二年に百済から献上された剣にあたると推定されます。四世紀頃、朝鮮半島の百済の王が百済の鉄で造り、倭の王へ、古代の国際状況を背景に製造された特別な剣だったのです。製造時期などは諸説ありますが、それでも仏教公伝以前の日本を語る剣には違ひありません。

では、百済からもたらされた貴重な七支刀がなぜ、石上神宮に伝はるのでせうか。それは古代、国家の武具をはじめ神宝などの「もの」を管理する氏族であった物部氏に関はりがありました。石上神宮は代々、物部氏が祭祀を司る神社。神社に納められたといふよりは、「もの」を管理する氏族の物部氏に貴重な刀剣が預けられたのでせう。そのため、七支刀は禁足地に埋められてゐた御神体の節霊剣とは別に、神庫に伝来品として保管され、今に至ります。「七支刀がかつて登場したお祭りがありました。毎年六月におこなはれる神剣渡御祭です。石上神宮の末社・神田神社例祭の田植の神事(でんでん祭)で、明治以前は御神剣の代はりに七支刀を掲げた御列が神田神社に渡りました。同神宮神職の市村建太さんは、祭典日が夏越の大祓式のある六月三十日である点に注目して、「この大祓式といふ国中を祓ひ清める日に、石上神宮の神様が渡御することで、とくに強く氏子区域と神饌田を祓ひ清めるといふ目的もあったのかもしれません」と神剣の祓ふ力を指摘しました。

七支刀は、刀匠の河内國平さんによって復元されてゐます。河内さんは日本刀の造り方である鍛造、そして鉄を鋳型に流し込む鋳造に挑戦し、七支刀は鋳造といふ匠からの新たな視点を打ち出しました。以前、復元七支刀を奈良県立博物館で拝見したとき、これほど実用的とは遠く、呪術的な力を近く感じる剣はないと思ひました。今から千六百年前、百済の王が造った摩訶不思議な形。それは今も心を揺さぶられる「かたち」であるのです。

石上神宮

祭神…〈主祭神〉布都御魂大神・布留御魂大神・布都斯魂大神〈配祀神〉宇摩志麻治命・五十瓊敷命・白河天皇・市川臣命

鎮座地…奈良県天理市布留町384

☎0743-62-0900」


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
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