投稿日:2021年10月13日(水)
ブログではお久ぶりでございます。最近は食欲の秋なのか、お店に並ぶもの全ておいしそうに見えてしまいます。かぼちゃやサツマイモなど今旬の野菜が特に好きで、かぼちゃを甘く煮てつぶし、クリームチーズと和えると無限に食べてしまいます…。体重計を新調したのでにらめっこしながらいきたいですね。権禰宜の佐藤です。
さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』掲載のコラム『刀剣は語る』よりシリーズでお送りしています「鶴岡八幡宮の正恒」を御紹介致します。
刀剣は語る「鶴岡八幡宮の正恒」
源頼朝の奉納から始まる鶴岡八幡宮の刀剣類。保存状態が良く、拵も揃ひ、公開を控へてきたことなどから、その存在は「隠れた名宝」といはれます。鎌倉に鶴岡八幡宮の名刀展を訪ねると、まづ目を引いたのはずらりと並んだ徳川将軍家からの奉納刀でした。
鶴岡八幡宮は治承四年(一八O)、鎌倉に入った源頼朝が現在の地に石清水八幡宮から改めて八幡神を勧請して源氏の守護神として祀り、その後建久二年(一二九一)上下両宮の現在の形としたのが創建と伝はります。
さうした八幡神を祀る神社と徳川家との関はりは、家康が豊臣秀吉と共に参拝し、その翌年に造営を命じられたととに始まります。その際は若宮の修造にとどまりましたが、関ヶ原の戦ひに勝利し、徳川幕府を開いた家康は、自ら本宮の修造を成し、遷宮を執りおこなってゐました。
そして、現在の若宮は寛永元年(一六二四)に二代将軍の秀忠が、本宮は文政十一年(一八二八)に十一代将軍の家斉が造営したもの。私たちは徳川幕府が再建した両宮にお参りしてゐるのでした。武家の守護神への崇敬の念は、頼朝から北条氏、そして四百年以上を経て徳川将軍家にも受け継がれてゐたのです。
徳川将軍家からの奉納刀の中でも、名高い一振りがあります。八代将軍吉宗が納めた国宝の「正恒」(鎌倉時代)です。
その太刀の刃長およそ七十八センチ、手元から反りのある腰反りで、平安時代の作風を偲ばせるやうな細身の優美な姿です。茎の目釘孔の下に、「正恒」と端正な二字銘が切られてゐます。
「七種の正恒」といふ語があります。平安時代から鎌倉時代にかけて複数存在した、同名の刀工をいふやうです。鶴岡八幡宮の正恒は、現在の岡山県倉敷市あたりの備中国青江鍛冶系、古青江派を代表する刀工であったと考へられてゐます。
古青江派の特徴は、刀身の「縮細肌」と呼ばれる肌目。日本刀の軟らかい鉄を包む硬い鉄は何度も折り返して鍛へます。そのため、地鉄には樹木の木目のやうな模様が見られます。板目肌に混じって木の年輪のやうな本目を本目肌といひますが、青江派はとくに織物の縮緬に似てゐることから、縮緬肌とも呼ばれるのです。これが、縮緬肌かとじっと見つめると、青黒い肌に吸ひ込まれるやうな心地がします。半世紀ぶりに現れた刀身に魅せられました。
倹約令、武芸の奨励で武士の気風を引き締めた吉宗。その治世を通じて幕政の改革をおこなひました。吉宗は元文元年(一七三六)、鶴岡八幡宮の修造遷宮にあたり、九月十五日に金百両、十七日に名代を立てて「正恒」を奉納してゐます。鶴岡の「正恒」からは、幕府中興の将軍の覚悟が伝はってきました。
鶴岡八幡宮
祭神…應神天皇、比売神、神功皇后
鎮座地…神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
電話…0467-22-0315
鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム
住所…神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-53
電話…0467-55-9030
開館時間…午前10時~午後4時30分(入館は4時)まで
休館日…月曜日(祝日の場合は翌平日)
展示替期間…年末年始