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【神社新報コラム】刀剣は語る「多度の正重」

投稿日:2021年8月25日(水)


最近は友人とグルメ情報を見ながらあそこ行きたい、ここ行きたいと妄想を膨らませています…。よく話題に上がるのは、テントなど準備をせずとも気軽にキャンプを楽しめるグランピングをしたいとのこと。落ち着いたら行ってみたいですね。権禰宜の佐藤です。

さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』掲載のコラム『刀剣は語る』よりシリーズでお送りしています「多度の正重」を御紹介致します。

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「多度の正重」

刀剣を生み出すとはどのやうなことなのでせうか。切っ先の鋭い短刀を前にして、作り手である刀工に思ひを馳せました。

茎に切られた「正重」の銘。室町時代、伊勢国千子派、あの村正の弟子にあたります。一目で千子派とわかる、ぷっくりと膨らんだ茎のたなど腹。その裏側には、「多度山権現」と切られてゐました。

多度山権現とは、三重県北部、桑名市の多度大社のこと。木曽三川の一つ、揖斐川のほとりに聳える多度山の麓に鎮まります。多度山は古来、神が坐します神体山と して仰がれてきました。

御祭神は天津彦根命。天照大神の御子神であることから、「北のお伊勢さん」ともいはれます。

この神社に永正年間(1504~21)、正重が短刀を奉納したのは、天津彦根命の御子神「天目一箇神(あめのまひとつのみこと)」をまつる別宮の一目連神社と関はりがあったやうです。

「御祭神の天目一箇神は金工鍛冶の祖神とされます。村正もその刀工集団も信仰してゐました」と、同神社権禰宜の伊藤彰教さんが教へてくれました。この天目一箇神は、天照大神が天岩戸に籠もった際、刀や鉄鐸をつくった(『古語拾遺』)とも、高皇産霊尊の命により出雲の神々を祀るための作金者に指名された(『日本書紀』一書)とも記されてゐます。

また、天目一箇神の御殿には御扉がありません。それは、天目一箇神が御神威を発揚される際、いち早く御殿を出られるからと地元では信じられてゐます。

「多度山権現」と銘を切った短刀を奉納した正重。じつは、この刀工について、楠公研究家の一部は「楠木正成の玄孫にあたり、伊勢楠木の第二代当主ではないか」と指摘してゐるのです。楠木氏は湊川の戦ひの後も、足利幕府に対して戦を繰り返してみましたが、やがて伊勢国(三重県)に落ち延び、伊勢楠木氏として続きます。

正重は伊勢楠木氏二代目となりますが、戦には加はらず、生涯、刀を鍛へ続けたやうです。ときに師の村正を凌ぐ刀を打ったとも評価される正重は、村正の後は千子派の主流となっていきます。

元来、刀に求められる性能に、切れ味があります。この短刀にはその切れ味が備はってあることは姿から窺へます。足利幕府から隠れながらも、いつか楠木の再興を、といふ正重の秘めた願ひのやうなものが伝はってきました。

多度大社は元亀二年(1571)に織田信長軍の兵火により、建物は灰燼に帰しますが、この短刀は奇蹟的に残りました。正重の願ひの重さゆゑでせうか。

 

多度大社

祭神=天津彦根命、<相殿>面足命・煌根命

鎮座地=三重県桑名市多度町多度1681

TEL=0120-37-5381

※「正重」は現在、桑名市博物館の企画展「刀剣コレクションII 多度大社の宝刀」にて展示されてゐる


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
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