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【神社新報コラム】即位礼と大嘗祭の歴史と文学

投稿日:2019年8月16日(金)


昨日は土砂降りの雨と晴れを繰り返すめまぐるしい天気でした…秋に行くにつれて台風も多くなってきますので、天気予報をこまめにチェックし早めの対策をしていきたいですね。権禰宜の佐藤です。

さて、神社会唯一の業界紙であります『神社新報』令和元年7月1日号掲載のコラム「月例文化講座~即位礼と大嘗祭の歴史と文学~」をご紹介致します。

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〈一、平安時代の譲位儀式〉

平安時代の譲位とは、どのやうにおこなはれてゐたのか。『西宮記』に残された儀式次第を参考に考えたい。

平安時代の中期以降、譲位の儀式は紫宸殿においておこなはれてゐる。天皇が剣爾を従へて中央に南面に出御し、皇太子も紫宸殿に参上した。宣命使(宣命を読み上げる公卿)が譲位宣命を受け取り、宣命版に立ち、譲位宣命の宣制(宣命の読み上げ)をおこなふ。宣制後(宣命の読み上げが終はれば)、皇太子は新帝(今上陛下)となり、庭上に降りて拝舞(謝意を表して左右左をおこなふ礼)をおこなふ。拝舞が終はれば、新帝は御休所に還御される。この時内侍が、剣爾を奉持して新帝の前後を追従する。その後、再び新帝が出御し、譲位の慰留と即位を辞退する旨の上表がおこなはれる。これは数回おこなはれるが前帝がお許しになられることはない。そこで改めて前帝に対して「太上天皇」の尊号が奉呈されることになる。

平安時代中期から後期になると、幼帝が多く即位されることから譲位儀式にも変化が見られる。皇太子(新帝)が内裏において譲位を受ける儀礼はなくなり、剣爾の渡御後に新帝が昼御座に出御する「譲位幼主義」も創出された。

譲位の儀式で最も重要となるのは、譲位宣命である。その内容について、『西宮記』には「前君の命を以て宣命を作る」とあり、譲位されるにいたった天皇の「お気持ち」が述べられるものと推察されよう。そして、譲位の儀式は、そのまま新帝践祚(即位)の儀式であった。

〈二、『儀式』「天皇即位儀」に見る即位式〉

『貞観儀式』に規定された即位式は、朝堂院の太極殿においておこなはれた。特徴的なことだけを述べれば、出御された天皇の装束は今日の即位礼とは異なってゐる。『貞観儀式』には「天皇、冕服を着す」とあり、黄櫨染御袍でなく、唐風(中国風)の「袞冕(こんべん)十二章」をお召しになってをられた。また臣下も「礼服(らいふく)」という唐風の装束であり、明治以前の孝明天皇即位式まで着用されている。

天皇の服制は、弘仁二十一年(820)二月一日の嵯峨天皇の詔により規定された。天皇は神事には帛御袍・御祭服を、元日の儀式には「袞冕(こんべん)十二章」を着用される。そして、その他の政務や諸節会などには黄櫨染御袍を着用されることになった(『日本紀略』)。ただし、弘仁二十一年二月の詔には、天皇が袞冕十二章を、着用されるのは、元日の朝賀儀だけと規定してゐる。しかし、『淳和天皇御即位記』には、「今皇帝(淳和天皇)、大極殿即位記。〔儀は元正に同じ。〕」「皇帝、冕服を服し高座に就く。」と記述されており、即位儀と元日の朝賀儀とは同じ儀式構造を持つ儀式であることから、弘仁二十一年詔が朝賀のみを記していたとは考えにくく、『日本紀略』に脱落がある可能性を清水潔氏は指摘されている(「『御服』規定の成立-弘仁二十一年詔の検討を中心に」〈皇学館大学史料編纂所報『史料』一八四、平成15年〉」

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〈三、大嘗祭の淵源と儀式の概要〉

大嘗祭は、天皇が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭である。新嘗祭は毎年11月にその年の新穀を天皇が神に捧げ、天皇親らも食す祭儀である。当初、「大嘗祭」とは、この新嘗祭の別名であった。大嘗祭(=新嘗祭)の儀式の形が定まったのは、七世紀の皇極天皇の頃と考えられているが、この頃はまだ通例の大嘗祭(=新嘗祭)と践祚大嘗祭の区別はなかった。通例の大嘗祭とは別に、格別の規模のものが執行されたのは天武天皇の時である。ただし、当時はまだ即位と結びついた一世一度のものではなく、在位中に何度か挙行されている。律令制度が整備されるとともに、一世一代の祭儀として「践祚大嘗祭」と名付けられ、祭の式次第など詳細についても整備されていく。

大嘗祭関連の諸儀で、まず行われるのが、悠紀・主基の国郡の卜定である。平安京を中心に東を悠紀地方、西を主基地方として、神饌や御酒に使用されるお米を採るための地方を、亀甲のひびの割れ方によって決定する。大嘗祭の卯日神事に先立ち、十月の下旬には天皇親ら大内裏を出て、河原に行幸し御禊を行う。その文献上の確実な初見は、平城天皇大嘗祭の時である(『日本紀略』大同二年〈807〉十月二十八日条)。しかし、近世の大嘗祭復興の際には、鴨川への御禊行幸は復興されず、内裏において御禊が行われている。大嘗祭の中心となる卯日神事では、悠紀殿供饌の儀、主基殿供饌の儀、吉野国栖の古風、斎国の風俗歌の奏上などがある。悠紀殿・主基殿での供進は、御祭服を召された天皇が、規定の数だけ神饌を御親供され、御告文を奏上して御拝礼され、その後に御飯と御酒を召されて直会儀を行われる。これが大嘗祭の中核ともなる部分である。


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