ホーム » ブログ » 【神社新報コラム】大嘗祭の新穀『悠紀斎田記念画帖』

【神社新報コラム】大嘗祭の新穀『悠紀斎田記念画帖』

投稿日:2019年8月23日(金)


今日は暦の上で「処暑」。立秋(8月7日頃)と白露(9月8日頃)の中間にあたり、暑さが止むという意味から「処暑」といわれ、厳しい暑さが峠を越して、落ち着く頃だそう…朝玄関を開けた時、連日の暑さが和らいだ風が吹きこみ一足早い秋を感じました。猛暑にもお休み期間が欲しいですね。権禰宜の佐藤です。

さて、神社会唯一の業界紙であります『神社新報』令和元年8月5日号掲載のコラム「大嘗祭の新穀『悠紀斎田記念画帖』(小原家文庫)より」をご紹介致します。

s-20180321100012-0001

20190810155619-0001

去る5月13日、宮中で「斎田点定の儀」が執り行われ、御治定を受けて悠紀地方は栃木県、主基地方は京都府と定まった。両地方の斎田では大嘗祭に奉られる新穀が育てられるが、ここでは、皇学館大学佐川記念神道博物館所蔵の小原家文庫に収められる『悠紀斎田記念画帖』から、大正の大嘗祭で悠紀地方となった愛知県碧海郡六ッ美村(現・岡崎市)の斎田で新穀が刈り取られるまでの流れを紹介したい。

『悠紀斎田記念画帖』は、六ッ美村在住の画家、松村櫻雨によるもので、大正4年に出版。淡彩画十五葉を一帖とし、松井茂県知事の序文が付される。画帖とは別に描いた「悠紀殿斎田播種ノ図」は同年、天覧に供されている。

登極令では地方長官が宮内大臣の命を受け新穀供納の手続きを為さしめることとなっている。悠紀地方の愛知では大正3年2月9日の松井知事の視察を経て、斎田四反歩の区割りを決定。高さの2m竹矢来を巡らせ、外側には葉付きの忌竹を4mおきに立て(写真①②)注連縄が張られた斎田では、苗場が耕作され(写真③)、4年4月22日には神山榮知立神社社司を斎主に清祓が執り行われた(写真④)。23日には水口祭や播種式を斎行。播種式では「萬歳」と名付けられた種籾が播かれ(写真⑤)、奉耕者らは浄服を著して臨んだ(写真⑥)。このほか画帖には苗代の除草や施肥の様子も描かれている(写真⑦⑧)。6月5日の田植式は岡部譲熱田神宮宮司が斎主、神山社司が副斎主を務め、県内神職21人が奉仕。田植女約20人が奉耕者約30人と共に田植えを行い(写真⑨)、「お田植踊り」を披露した(写真⑩)。また田植え後の、学生らによる害虫採取(写真⑪)や草取り(写真⑫)なども描かれる。

8月15日には斎田斎場の地鎮祭を斎行。登極令に定めのある「斎田抜穂ノ儀」前日にあたる9月19日には、勅使たる抜穂使・北郷久政掌典参向のもと、選定された矢作川上流の大聖寺磧(かわら)で大祓が執り行われた(写真⑬)。翌日の「斎田抜穂ノ儀」(写真⑭)では、大田主、早川定之助氏、奉耕者から選ばれた雑色10人が斎田に参入。稲穂を刈り取り、抜穂使の確認ののちに「稲實殿」に納められた。稲刈り(写真⑮)は26日に終了した。新穀は乾燥等ののちに辛櫃(からひつ)に納められ、10月15日の新穀輸送式を経て、翌日早朝に専用列車で京都に向け出発。午後に悠紀斎田新穀供納式を経て、宮内省に納められた。

20190810155633-0001

 

20190810155650-0001


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
ぜひ早起きした朝やお休みの日にでも、お気軽に当社にお越しください。皆様のご参拝を心よりお待ちしております。