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【神社新報コラム】杜に想ふ~書を読む~

投稿日:2020年6月13日(土)


今日は6月13日は衣川の館にて自害された源義経公の御首が鎌倉腰越で首実検を行われた日ということで、源義経公没後831年鎮霊祭が執り行われました。例年は鎮霊碑前にて神社関係者参列のもと斎行されますが、本年は新型コロナウィルス感染拡大に鑑み神職のみにて奉仕致しました…権禰宜の遠藤です。

さて、神社界唯一の業界紙である『神社新報』令和2年4月27日号掲載のコラム「杜に想ふ」を御紹介致します。

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『書を読む』

新型コロナウイルスの感染拡大で、外出を 自粛することになった。

『古事記』をあらためて読み返す。 ふだんは、主役が変はって離れたページを比べながら読むことをしない。

たとへば、「上つ巻」での大国主神‹おおくにぬしのかみ›と「中つ巻」での倭建命‹やまとたけるのみこと›(『日本書紀』では日本武尊)。両者には、何のつながりもない。一方は国津神の系譜にあり、一方は天皇の系譜にある。 当然ながら、その時代背景にも隔たりがある、と読みきってしまふ。

さほどの理由はないが、これを並べて読んでみたのだ。すると、双方に共通する男性たるものの本性ともいへる性格づけが読みとれるではないか。 ひとつに、兄弟間には壮絶なまでの争ひがあること。 もうひとつに、父親に対しては反撥をしながらも忍従すること。大国主神にも倭建命にも、この二つの相反する性格がみられるのである。

大国主神は、八十神‹やそがみ›(多くの兄弟)に従者のごとくに使はれる。美談としての「いなばの白兎」で知られる旅でも、さまざまな迫害を加へられる。一度は、命も落とす。が、母神の機転で復活、父神須佐之男命‹すさのおのみこと›が支配する根の堅州国に難を逃れることになる。ところが、須佐之男命は、大国主神を蛇や百足や蜂がひそむ室に閉ぢこめたり、野に出して焼き殺さうとしたりする。 そこを須佐之男命の娘である須勢理比売‹すせりびめ›に助けられ、比売ともどもに地上へと逃げるのである。その後、須佐之男命が軟化。大国主神の国造りを支持する。その結果、大国主神は、八十神を征圧して国造りを成したのである。

倭建命は、景行天皇の次男である。無情にも長男を殺害。何くはぬ顔でそれを告げる命‹みこと›の凶暴さを恐れた天皇は、熊曽建‹くまそたける›を征伐せよ、と九州に遣はす。熊曽建を殺害した倭建命は、出雲にまはって出雲建をも征伐して倭(大和)に帰り、天皇に報告。それを聞いた天皇は、すぐさま、今度は東征して荒ぶる者たちを征圧せよ、とのたもうた。

倭建命は、東国への道中の途上で、伊勢に坐します叔母倭比売命‹やまとひのみこと›に会ひ、天皇の無情を嘆いたことであった。

ヨーロッパの精神医学では、兄弟同士の敵対関係を「カイン・コンプレックス」といふさうだ。また、父に逆らへない息子の自虐性を「エディプス・コンプレックス」といふさうだ。そして、日本の英雄譚には、とくに後者の性格づけが強くみられる。といふことを、小田晋さん(昭和八年~平成二十五年)に聞いたことがある。

小田さんは、犯罪心理学者として著名であったが、東西の歴史や文化にも通じてゐた。まさに博覧強記の人であった。私は、この小田さんから、多くのことを学んだ。

その懐かしい思ひ出がよみがへってきて、小田さんの著作をも再読することになった。外出を控へたおかげで授かった余禄であった。

(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
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