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【神社新報コラム】杜に想ふ~牛の絆~ と 今日のフジ

投稿日:2021年4月28日(水)


梅の実がだんだんと大きくなってきて、収穫の時を待っているようです。風が強く吹くと落ちる実も出てきています…権禰宜の遠藤です。

本日は、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』令和3年1月18日号掲載のコラム『杜に想ふ』より「牛の絆」を御紹介致します。

新報R30118

 

【丑の絆】

「丑年だからと、藤子・F・不二雄氏の短篇漫画「ミノタウロスの皿」を改めて読んだ。主人公の宇宙飛行士が事故で不時着した未知の星はズン類といふ牛のやうな支配種族が人類に似たウスを飼育してゐる社会で、常識や価値観とは何かを問ひかけてくる名作だ。

「言葉は通じるのに話が通じない」

友好的ながら価値観がまるで異なるズン類を相手に奔走する主人公が内心で独りごちるシーンだが、印象的なセリフである。

現実のさまざまな問題において意見が対立したとき、人はしばしば相手の理解が足りてゐないのだと云ひがちだ。この漫画は、さう考へる人間の滑稽さも描き出してゐるやうに思ふ。F先生の「すこしふしぎ」を教訓的に解釈するのは個人的に好まないけれど、読書をきっかけに内省するのは悪くない。

価値観の多様性も、近年とみに唱へられるやうになった。尤も、現実は理想郷でない。件の主人公が皆になかなか理解されず、また自分もしなかったやうに、すべての価値観を相対化することは難しい。

東日本大震災からもうすぐ十年。震災後、絆といふ言葉が持て囃された。その考へ自体はひじょうに道徳的だとは思ったが、それに疑問を差し挟むことを拒むやうな一部の社会の同調圧力は当時、空恐ろしくもあった。

絆とか心とか祈りとか感謝とか、さういふ抽象的で耳に心地の好い言葉は受け手の理解も早く、作文で生きてゐる身としても便利で使ひ易いが、だからこそ、そこには危ふさも感じる。人口に膾炙して熟れたワードを切り貼りして作った一見無難なテキストを紙面に斜めかせるやうなことは避けたいし、たとひ使ふにせよその背景は心得てゐたい。

絆といふ言葉は元々、家畜を繋ぎとめる綱を意味した。今は寧ろ、人々の連帯感や強固な紐帯を指すことが専らだ。人と人とが相互に結びつき支へ合ふ姿は、それは美しからう。しかし牛馬を繋ぎとめる綱は羈絆とも云ひ、人を束縛して足手まとひとなるものを表す。表裏一体なのだ。

密といふ言葉も、この疫禍で散々聞いた。ただ、これを流行らせたのは、皮肉にもその密を回避せよといふ方の号令だった。それは現代社会のさまざまな絆といふ名のしがらみに囚はれ、密な人間関係に心身を困憊させた人には、ある種の福音だったかもしれない。

本稿を執筆してゐる最中、またも緊急事態宣言が出された。まだ暫くは密を避ける生活も続かう。その上においては、職場でもどこでも牛めくことをやめ、

牛 牛

これくらゐの距離でゐたい。そのために、牛を繋ぎとめる絆を解くこともひとつの価値観だらう。禅の十牛図では、牛は本来の自己を表すさうではないか。」

(ライター・史学徒)

【今日のフジ】

▽弁慶藤

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▽義経藤

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