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【神社新報コラム】杜に想ふ~神楽を舞ふ~

投稿日:2020年4月3日(金)


昨日今日と一気に暖かくなり、桜の開花が進みましたね。ゆっくり腰を据えてお花見したい気持ちを抑えつつ、散歩がてらに春を感じています。春の陽の光が一番好きです。権禰宜の佐藤です。

さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』令和2年2月17日号掲載のコラム「杜に想ふ」をご紹介致します。

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杜に想ふ

 

【杜に想ふ~神楽を舞ふ~】

「旧知の旭堂南陵さん(講談師、文化・芸術博士でもある)から『事典にない大阪弁―絶滅危惧種の大阪ことば』(増補改訂版、浪速社)が送られてきた。たとへば、現在つかはれてゐる「けえへん」は「こうへん」が元の通用語。「もうかりまっか」は「もうけてはりますか」が元の丁寧語。多くが、東京志向のテレビの影響で壊された、とする。

私も同感である。昭和四十年代のこと。一年の半分以上、民俗調査と称して全国各地を一巡り歩いてゐた。それまでは、方言が常用される土地の人同士の会話には理解が及ばないことが多かった。それが、テレビが普及すると、ほとんど二、三年のうちに東京中心の標準語がつかはれるやうになったのだ。なるほど、テレビ画面での口の動きを見て自然に習得できるやうになったのか、と。

大阪弁だけではない。各地方の伝統的な用語や会話が絶滅危惧種となってすでに久しい。伝統的な日本語の正統な伝承も、おぼつかなくなってゐる。

たとへば、最近気になるのが、神楽を「踊る」。「舞ふ」が正統なのに、踊る。神楽が盛んな私の郷里でさへ、それを耳にするやうになった。神楽を女性や子供にも、さらに外国人にも広めようと備中に移り住んだ自称神楽プロデューサーの某女史がつかひだしたのだ。それは、間違ひだ。と、私は、御当人にも異議を伝へた。

舞ふとは、座(板敷とか畳敷とか)を設けての演舞である。その上座には、神の社とか床の間がある。それに対して、踊るとは、地上(路上)での演踊。信仰的な要素もあるが、投げ銭目当てのパフォーマンスにはじまったものもある。舞踊といふ言葉もあるが、両者は異種異芸なのである。さう思ってゐたところに、昨秋の「全国神楽シンポジウム二〇一九」(主催=宮崎県)で椎葉村の関係者から同様の意見がでた。踊る、とはいはないでほしい、と。そのとき、私は、神楽を民俗芸能とひとくくりにすることも考へなほす時期にきてゐるだらう、と発言した。

戦後は、政教分離を唱へての行政や教育の指針もあって、神楽でも神事的な要素がおろそかにみられるやうになった。民俗学でも、芸能的な形態分類に話題が集中しがちであった。しかし、神楽とは、その元は、神を招いてもてなす神事であるに相違あるまい。時代ごとの、地方ごとの変化を認めなくてはならないが、その祖型を忘れてはならない。

つい最近のこと、宮崎県の関係者から、宮崎県が音頭をとって九州の神楽ネットワーク協議会をさらに強化する、との知らせがあった。そこでの神楽は、あらためて「神事神楽にはじまる」とうたふ、とも。うれしい知らせであった。私たちは、旧守的といはれようが国粋的といはれようが、かうした歴史を正視しての姿勢は崩してはならないのである。」


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
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