ホーム » ブログ » 【神社新報コラム】神宮だより~古代・中世の懸稲の奉飾~

【神社新報コラム】神宮だより~古代・中世の懸稲の奉飾~

投稿日:2020年10月7日(水)


【暦で見る九星の運勢シリーズ】八白土星:10月(各自の九星についてはブログ末尾の表をご参照ください)「吉方…南西 何をやってもうまく運び爽快に。進まなかった難問も動き出し一安心。積極的に動いて良い結果が出ますが程々に。動けるからといって軽々しく動くと取り返しのつかないことになる」とのことです…権禰宜の遠藤です。

さて、神社界唯一の業界紙である『神社新報』令和2年9月28日号掲載のコラム「神宮だより」を御紹介致します。

s-20201007092241-0001

【神宮だより~古代・中世の懸稲の奉飾~】

「秋分を過ぎ、残暑も和らぎをみせ始めるこの季節。宇治橋に吹き抜ける風がどことなく冷たく感じる頃、神宮は神嘗祭を迎へる。全国津々浦々の農家では大凡稲刈りも終へ、収穫感謝として新嘗祭等において神々に初穂をお供へする準備に取りかかる時期でもある。

神宮の神嘗祭と新嘗祭には、両宮の内玉垣と各別宮の瑞垣に農家から献上された稲が懸けられる。この懸稲は、懸税稲(「カケチカラノイネ」)の意味で、税を知加良(ちから)」と称し、江戸後期の内宮禰宜・中川経雅は『大神宮儀式解』にカケチカラ、すなはち「懸税」のことを、「百姓の力役で作る稲を穂ながら御垣に懸け奉る為、懸税といふ」と考証してゐる。

延暦23年(804)撰述の『皇太神宮儀式帳』によれば、壱千四百四拾七(1447)束の稲が度会・多気の二神郡や国々所々の神戸から奉献され、延長5年(927)成立の『延喜太神宮式』にも小税大税庁税を正宮•別宮・社々に奉ることがみえる。これらは古代においては、内玉垣と外玉垣に懸ける稲であった。ちなみに懸税のうち、小税は一把一束、大税は五把一束、斤は十把一束で、当時は一把あたり穀米一升の計算であった。

井面忠仲が建久3年(1192)に著した『皇太神宮年中行事』には、9月17日に正員禰宜が各二束を進献し、物忌父がこれを請け取って玉串御門(現在の内玉垣御門)の左右の玉垣に懸けたと記録されてゐる。禰宜は、役田(御常供田)より奉献された稲を各自三束正宮に持参し、二束を懸けて一束を自身の得分とした。建久の頃、つまり鎌倉初期には、もはや神戸から懸税は貢献されなくなってるたであらうが、役田からの供出を以て玉垣に稲を懸ける風習は遺り、爾後室町時代に至っても受け継がれた。今日の懸稲は古代・中世の伝統を受け継いだものといへよう。」

厄年表R2


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
ぜひ早起きした朝やお休みの日にでも、お気軽に当社にお越しください。皆様のご参拝を心よりお待ちしております。