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【神社新報コラム】神宮だより「江戸時代も歳旦祭大御饌―長餅と鮎饗―」と境内の風景

投稿日:2021年4月29日(木)


今日は一日中雨ということで、久しぶりにレインブーツを履いてみました。今のレインブーツはデザインがおしゃれでいいですね。適当な傘を使いがちなので、梅雨に向けてお気に入りの傘を探してみようかなと考えています。権禰宜の佐藤です。

本日は、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』令和3年1月1日号掲載のコラム『神宮だより』より「江戸時代も歳旦祭大御饌―長餅と鮎饗―」を御紹介致します。

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「江戸時代も歳旦祭大御饌―長餅と鮎饗―」

令和二年は、国際的に新型コロナウイルス感染症防止に明け暮れる年となった。加へてわが国においては水難の事故が相次ぎ、未曽有の国難に対処しながら新玉の年を迎へることとなった。五十鈴川に麗気漲り、神路山に朝日が差し昇る元日早々歳旦祭が執りおこなはれ、皇室の弥栄、国家の安寧、国民の平安、五穀豊穣等の祈りが捧げられた。

歳旦大御饌については、明治以前の旧式祭典においても執りおとはれてゐた。しかし延暦二十三年(八〇四)撰述の『皇太神宮儀式帳』には神事としての記載はみられず、井面忠仲が建久三年(一一九二)に纏めた『皇太神宮年中行事』には「朝御饌供進」とだけあって、内容に関してとくに触れてはゐない。明治時代の横地長重の作とされる『維新以前皇太神宮祭典祭具図』(本図)に示す鮎饗がいつの時代からおこなはれたのか定かでなく、江戸時代の『豊受皇太神宮年中行事今式』や『外宮子良館察奠式』等によれば、「鮎饗神事」として当時外宮で斎行されてゐたことが理解できる。

一方の内宮では「鮎饗」の語彙そのものは記録上確認できないものの、本図が描く通り外宮同様の神事が少なくとも江戸時代には執りおこなはれてゐたと推察される。また、寛保元年(一七四一)に原時芳が執筆した『内宮子良年中諸格雑事記』の「白散大御饌調進之次第」の中に本宮へ供進する神饌として「手代餅二十枚、下敷餅」の表記があり、図の如く盆瓦の上に積み置き、細紙で結んだ長餅と下敷餅が元日に奉奠されてゐたことがわかる。白散とは、肉桂・椒・人参などを擂り潰し、滋養効果の高い薬用成分として作った白い粉のことである。

当時の古記録によると、栗・相子・橘・千魚・海老・生魚等の御贄の記載がみられ、本図に描かれる桶には、鮎鮓(年魚酢)が詰め込まれてゐたと考へられる。

なほ、今日の歳旦祭にも塩香魚として鮎がお供へされてゐる。

(広報室・音羽悟)

【境内の風景】

▽弁慶藤の様子

見頃も少し過ぎ、房の中には種がなっているものもちらほら…それでもなお近づくと香る藤の花はいいですね。

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▽義経藤の様子

上を見上げると雨の香りを覆い隠す藤の香りが…まるで雲から香りが降ってきているかのようですね。雨の中の藤…今しか味わえない乙な楽しみ方かもしれません。

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▽御祓川の様子

先日までイチョウの雄花で彩られていましたが、だいぶ落ち着いてきました。岩が濡れていますのでご覧になる際は足元にお気を付けください。

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▽梅の木の様子

先日ブログにも取り上げた梅の実の様子です。雨にも負けず風にも負けず…大きくなってきましたね。

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