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【神社新報記事】 硫黄島(いおうとう)訪島事業

投稿日:2016年8月30日(火)


硫黄島の東京都小笠原村の硫黄島は、現在「いおうとう」と読みます。「いおうじま」は、鹿児島県鹿児島郡三島村に「硫黄島=いおうじま」という別の島があります。

呼称については歴史的に紆余曲折がありましたが、平成19年より東京都の硫黄島は「いおうとう」と統一されました。権禰宜の遠藤です。

さて、神社界唯一の業界紙であります「神社新報」8月29日号に興味深い記事が掲載されていましたので、ご紹介致します。

神社新報記事 硫黄島

「【日本文化興隆財団・日本青年会議所関東地区協議会 硫黄島訪島事業 共催で2回目】

一般財団法人日本文化興隆財団(田中恆清理事長)と公益社団法人日本青年会議所関東地区協議会(倉嶋慶秀会長)が主催する「硫黄島訪島事業」が8月11・12の両日に開催され、遺族などを含む五十五人が参加した。

”国の歴史と向き合ひ、英霊に対して赤誠の心を捧げ、戦跡の巡拝をおこなふ中で、日本人として自国を誇れる歴史観を養ひ、確かな国家観を備へた人材育成をおこなふ”

ことを目的とする同事業は、平成19年から同協議会が継続してゐたもので、昨年から同財団が共催してゐる。2回目となる今回は前回と同様に事前に勉強会をおこなった上で訪島し、現地で慰霊式典(写真)を執りおこなったのち戦跡などを見学した。

11日、埼玉県入間市の入間第一ホテルで結団式がおこなはれ、倉嶋会長と同財団理事の打田文博氏が挨拶。このなかで打田理事は「この訪問が実り多く慰霊の誠を捧げる旅となり、先人が戦った歴史を正しく学ぶ機会となることを念願する」と語った。」

神社新報 硫黄島記事2

「8月11・12の両日に亙り実施された「硫黄島訪島事業」の初日、結団式の後には宿泊先のホテルで勉強会がおこなはれた。

【遺骨収集の現状 体験を基に紹介】

勉強会では、戦歿者の遺骨収集や戦争体験の聞き取りと発信などをおこなってゐるジャーナリストの佐波優子氏が講演。硫黄島をはじめ、海外の戦地などに於ける遺骨収集作業の現状や課題などについて解説した。

靖國神社での清掃奉仕の際に、戦地に取り残された遺骨の収集作業がおこはなれてゐることを知ったといふ佐波氏。英霊が遺族に宛てた手紙のコピーが配られ、「何かできることはないか」との思ひに駆られてゐたところ、遺骨収集経験のあった学生から初めて取集作業の実態などについて聞いたことをきっかけに遺骨収集に携はることになったといふ。

また硫黄島での遺骨収集に関しては、地熱によって気温80度を超える地下壕内で交代しながら作業を進めてゐることなどを説明。島にある滑走路の下に遺骨が埋まってゐることについても述べた。

またシベリア抑留の間に命を落とした人々の遺骨収集にも触れ、冬には零下30度ほどになり地面も固まるため当時は個人の墓を設ける余裕がなく、数人を纏めて埋葬せざるを得なかったことを説明。「若い世代で戦争のことを見直さうというふ気運が昂ってゐるやうに思ふ。慰霊や遺骨収集に関することを今後も伝へ続けていきたい」と締めくくった。

【戦歿者を偲び慰霊碑で式典】

翌12日は早朝に航空自衛隊入間基地から輸送機で硫黄島に出発。昼食後に「硫黄島戦没者の碑」(天山慰霊碑)で慰霊式典を執りおこなった。式典では慰霊碑前に御酒や菓子などを供へ、両主催団体と青少年の代表が拝礼。参列者一同が献花をおこなった。

また式典後には参列者がそれぞれ故郷から持ち寄った水を慰霊碑にかけ、清水のない環境で激しい暑さに苦しんだ英霊を慰めた。

その後はガスが噴き出す「硫黄ヶ丘」や「兵団司令部壕」「海軍医務科壕」、島内を見渡すことのできる擂鉢山などをめぐり、70年前に刻まれた弾丸の跡や、錆ついたまま残されてゐる銃火器、地面から立ち上るやうな暑さなどから、英霊が置かれてゐた過酷な状況に思ひを寄せた。

入間基地を経由して入間第一ホテルに帰った一行は、意見交換会と解団式を実施した。

意見交換会ではいくつかの判に分かれ、訪島前後の硫黄島に対するイメージの変化や、家族や周囲に今回の体験をどう伝へるべきかについての考へが交はされ、「日本人として関心を寄せ続けないといけないと感じた」「改めて英霊に感謝した」などの感想が聞かれた。

解団式では倉嶋会長と打田理事が挨拶。今回の体験をはじめ、大東亜戦争における先人の苦労などを次世代に語り継ぐことの重要性を強調した。

【収集事業の今日 知るきっかけに】

今回の硫黄島訪島事業には、遺骨の取集作業に携はってきた遺族数人も参加した。遺族らは遺骨収集の現状について「貴重な動植物の生息地などにあたるため取集作業ができない場所もあり、米軍が潰してしまって中を確認できない地下壕も多い」と語る。また作業の過酷さについては、土の温度が100度近くになる地下壕もあり、作業中に不発弾などの危険物を発見することもあるといふ。

硫黄島での日本側の戦歿者は約2万1900人にのぼるが、そのうち遺骨を収集できたのはおよそ半数の1万380柱に留まる。滑走路については、レーダー等の調査で約100か所に固形物が確認されてをり、政府が掘削しての遺骨捜索をおこなってゐる。

また海外ではおよそ240万人が尊い命を落としたが、海没した約30万柱と、相手国の事情で収集がおこなへない約23万柱を含むおよそ113万柱が、戦後70年以上を経ても帰国できないままでゐる。

このやうな現状のなか、今年3月には硫黄島をはじめ各地での遺骨収集について、その推進を「国の責務」と位置付けて一層の推進を図る「戦没者遺骨収集推進法」が可決・成立した。

同法では向後9年間を「集中実施期間」に策定し遺骨帰還の加速化を進めることとしてをり、収集作業は国が指定する一般社団法人「日本戦没者遺骨収集推進協会」が担ふ。同協会は国内外で遺骨収集に従事してきた12団体が構成。「これまでの経験、知識をもとに、結束、連携し、経験則を共有しながら、この事業を進める」事としてゐる。

遺族らは遺骨収集について「遺族は高齢化していき、いつかは続けるのが困難になる」と話す。遺骨収集に意慾的な若い遺族や関係者もゐるが、みんな働き盛りで長期休暇は取れない」との声もあり、まづは今回のやうな訪島事業をおこなふことで硫黄島の周知を図り、遺骨収集の現状や課題を知って貰ふことが必要だと語ってゐる。」

 


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