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【神社新報記事】公事録附図に見る皇位継承

投稿日:2017年11月14日(火)


今週末には一発目の忘年会があります。楽しみです。権禰宜の新久田です。

さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』平成29年7月31日号より記事「公事録附図に見る皇位継承」をご紹介致します。

神社新報 皇位継承記事
【公事録附図に見る皇位継承】
「6面では第百十九代・光格天皇の御治世や御譲位の経過等を解説したが、ここでは明治期に作成され、特定の儀式ではないが江戸後期の宮廷行事を描いた『公事録附図(くじろくふず)』から関連儀式の様子を紹介するとともに、宮中祭祀の継承についても概観したい。現在の宮中祭祀は明治四十一年の 皇室祭祀令を基としてをり、歴史を踏まへつつ整へられたが、その営為にはかうした絵図や儀式書の継承が不可欠だったといへる。

儀式書は古来、貴族や官人にとって奉仕すべき朝儀の実用的な指南書で あり、中近世でも有職故実の文献として重要だっ た。成立事情がわかる現存最古のものは五十二代 ・嵯峨天皇の御代、弘仁十 二年(821)に撰進された勅撰儀式書『內裏式』。以降『貞観儀式』等の勅撰儀式書が編纂された。平安中期になると公卿らに よって私撰儀式書も作ら れ、中近世になっても流布するほど重用された。

さらに鎌倉期、八十四代・順徳天皇は天皇の心得るべき有職故実を詳述 した『禁秘抄』を、また 朝儀の復活を目指した九十六代·後醒翻天皇は『建武年中行事』を御編纂。 応仁の乱により宮中祭祀が廃絶の憂き目に遭った室町期にも、有職故実等の大家・一条兼良が多く の儀式書を残した。

江戸期には、後水尾天皇が著された『当時年中行事』に「順徳院の禁秘抄、後醍醐の仮名年中行事などいひて、禁中の事かゝせ給へるものあり、 寔に末の世の亀鑑也」とあり、先例重視の御姿が拝される。また光格天皇が再興・復古された神事 ・朝儀は、後世『寛政再興年中行事』として纏められ、御譲位の様子については御物『光格天皇御譲位絵巻』が残ってゐる。

【祭儀の伝統後世へ】
このやうな流れのなか儀式書と折帖の図からな る『公事録』は、明治期に作成された。岩倉具視が中山忠能らに江戸後期の宮中祭儀の記録を命じたもので、明治二十年(1887)に恒例四十五冊、 臨時二十二冊及び附図が、二十四年には公事附録として凶事部二十八冊及び附図が完成。恒例の祭儀では、四方拝や節日行事、新賞祭といった諸祭儀のさまざまな場面を収録し、臨時の祭儀では今回紹介した三点の譲位 ・大嘗祭関係の諸儀や、立太子や宇佐使御禊の場面などが収められてゐる。
なほ明治二十一年には 同様の主旨のもと、『嘉永年中行事』が纏められた。

明治四十五年、明治天皇には「をりにふれて」として、御製「しる人の 世にあるほどに定めてむ ふるきにならふ 宮のおきてを」をお詠みになられた。旧例古格を基とする宮廷の諸法規は、その事柄を柄をよく知る人々がゐなくならぬうちに取り決めておかねばならない、との思召しが拝される。こ のやうに、宮中の祭儀は 先人の足跡を重視しつゝ時代を通じて連綿と受け継がれてきたことが、儀式書からも窺へる。 」

光格天皇譲位前後の動向(抄)
文化十一年
八月 十七日 東宮恵仁親王の成長により、来たる丑年(文化十四年)の春、譲位・受禅の治定の旨が仰せ出される
文化十四年
正月 十八日 譲位・受禅の祝儀として関東(幕府)に賜物あり。また桜町殿(上皇御所)の修理について賜物あり
二月 十四日 来月の二十二日に譲位の儀を執りおこなふことが 内々治定される
三月 十一日 譲位後の御幸始祝儀のことを仰せ出される
十三日 稲荷、梅宮両社において譲位・受禅行幸の祈禱を執りおこなはせる
十九日 譲位を控へ、行幸・受禅・剣璽渡御の内見あり。東宮恵仁親王も内見あり
二十一日 警固固関の儀あり
二十二日 桜町殿に行幸される。桜町殿から清涼殿への剣璽渡御の儀があり、清涼殿にて皇太子恵仁親王に譲位(仁孝天皇)。この日、仁孝天皇が詔して一条忠良を関自とする
この日より三日間、内侍所に神饌が調進される
二十三日 布衣始の儀あり。また開関解陣あり
二十四日 仁孝天皇より太上天皇の尊号が贈られる(光格上皇)
二十六日 光格上皇の御幸始があり、仁孝天皇より御祝儀が献じられる
四月 二日 光格上皇が鎮守社への御神拝始を執りおこなはれる。以降、鎮守社や柿本社への参拝をたびたびおこなはれる
十五日 仁孝天皇が譲位・受禅祝儀ならびに年頭の勅使として武家伝奏を関東(幕府)に下向せしむ
二十八日 尊号御報書の儀あり
五月 七日 光格上皇が尊号御報書の勅答を受けられる
十八日 光格上皇が和歌御会始をおこなはれ、出御。これより先に柿本社に参拝される
八月 七日 光格上皇が和歌当座御会始をおこなはれ、小御所に出御。以降、たびたび和歌当座御会始がおこなはれる
九月 二十一日 仁孝天皇が紫宸殿において即位の礼を執りおこなはれる
文政元年
十一月 二十一日 仁孝天皇が大賞祭を執りおこなはれる

譲位の儀・受禅(践祚)の儀
(1)
辰刻(午前八時)に光格天皇が内裏の 宜秋門(西門)から出て南下し、建礼門の前を通って東へ進み、桜町殿に唐門から入御。
同刻、中宮の欣子内親王は内裏の朔平門(北門)から出て唐御門(宣秋門)の前を通り南下し、南門(建礼門)の前を通り東へ進み、中宮用の新御殿に入御
(2)
未半刻(午後三時)前、剣璽が清涼殿へ渡御のため下御所(桜町殿)の唐門から北上して建春門(東門)から内裏に入る
東宮の使者が内裏に参入
左大臣·権大納言·右衛門督·万里小路中納言・左衛門督などが所定の位置に着く
大臣が官人をして宣命草を準備させ、確認ののち清書を作成する
天皇が御帳の中の椅子に着き給ふ
大臣が宣命に御笏を取り副へ昇殿して所定の位置に着く
門を開き、官人らが所定の位置に着く
宣命使が宣命を奏上する。群臣再拝
宣命使が本列に復する。諸卿が退出
入御し給ふ
節会が終はり、剣璽が新主(仁孝天皇) の御所に渡される
昼御座に出御(御直衣)
関白が御簾を塞ぎ、御前の円座に着く
公卿以下が庭中に立つ
内侍二人が剣璽を執って南庇に出る (あらかじめ筵道を敷く)
左右の近衛大将が簀子に候す
近衛将二人が参進し、紫宸殿南階を昇り当間に入り、剣璽を取って階を降り、筵道を歩いて新主の御所(御常御殿か)に到る(公卿以下が前後に供奉)
(3)
子半刻(翌午前一時)前、仁孝天皇が受禅(践祚)の儀式を済まされた旨を議奏衆から仰せ出される
同じ頃、内裏で院司が祝意を表して退出し、関白以下が新主(仁孝天皇) に祝賀を申し上げる


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
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