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【神社新報 特集】日本の茅葺き文化~大嘗祭を通して考へる~①

投稿日:2020年6月2日(火)


六月に入りムシムシする日が続きますね。本格的に夏入りする前にエアコンの掃除をしたいですね…権禰宜の佐藤です。

さて、神社界唯一の業界紙である『神社新報』令和2年5月18日号掲載の特集「日本の茅葺き文化~大嘗祭を通して考へる~」を御紹介致します。

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【日本の茅葺き文化~大嘗祭を通して考へる~】

日本人が屋根に茅を葺くやうになってどのくらゐ経つのか。正確な起源はわからないが、少なくとも四世紀まで遡ることが出土物から確認できる。

奈良・佐味田宝塚古墳から出土した「家屋文鏡」といふ青銅鏡の裏側には、四種類の建物が描かれてゐる。これらは四世紀の主要建物を表現してゐると考へられ、それぞれ竪穴住宅・高床住宅・高倉・平地住宅とされてゐる。竪穴住宅は掘った穴に屋根だけを据ゑたもので、高床住宅はその床部分が地面より高く上がったもの、高倉は伊勢の神宮のやうな切妻高床建物で、平地住宅は竪穴と高床との中間に位置するやうな建物だ。そして詳細に描かれた線描から、四種すべて茅葺きであることは明白で、当時の大和地方では屋根の主流が茅葺きであったことがうかがへる。

<茅文化の歴史は>

近年の発掘調査によると、縄文時代の屋根の主流は土葺きが有力視されてをり、当時は森林が豊かで草原は広がってゐなかったため、茅はあまり自生してゐなかったと考へられる。 日本の気候風土からいへば、農耕など人間活動がなければ森林の植生が保全される。

ススキなどの茅は一般的に、生態学では一時的に出現する植生と説明され、日本列島の場合は火山爆発が最大の要因とされる。森林が焼かれた後、火山灰の土壌にまづ生えるのである。縄文時代に、土葺きが主流だったな か、人口わづか三十万人ほどで茅をどれくらゐ利用してゐたかは不明だが、一番下に薄く葺いて一定量の雨を流す防水層の「雨仕舞」として利用されてゐたと考へられる。 木の皮でおとなふのが最も簡単だが、影でも十センチほど葺けば十分に排水機能を有する。茅の上に厚い土がどっぷり乗ってゐるやうな住宅が、縄文の竪穴住宅だった。地下は温度が安定してゐることから冬は暖かく夏は涼しいため、何らかの半地下を利用することが竪穴住宅の利点である。一方で住宅は日本の場合、低湿地では湿気と排水の問題があって成り立たなかった。

その後、弥生時代になると、居住域は次第に森林から草原や低地へと移っていった。屋根材もさまざま混在してゐたやうだが、「家屋文鏡」で見られるやうに、四世紀の古墳時代で、主流が茅葺きに変はっていく。かなり革新的な変化が起きたと思はれる。そこには稲作農耕文化への移行が関係してゐると考へられる。

近年では、日本中が同じ「弥生時代」といふ時代区分では分けられず、地域的なものが時代とともに広がって「弥生文化」が滲透していった、とされてゐる。大和朝廷は、縄文と弥生が地域のなかで時代の層を積み上げつつ混在・変化してきたなかで成立する。「家屋文鏡」に茅葺き建物が象徴的に描かれるやうな時代である。建築とは生活の形であり、この鏡は人々が茅を使って暮しを営んだことを物語る。

この時代の住居について、『万葉集』に「太上天皇(元正)御製歌一首」として「はだすすき尾花逆葺き黒木もち造れる室は万代までに」といふ歌がある。「はだすすき」とは、茅のうち主要なものの一つであるススキが、穂を出してはためいてゐる状態だと解釈され、「尾花」はススキの花の部分である。「黒木」は皮付きの丸太のことで、ススキを逆葺きで葺いて黒木でつくる「室」、つまり製材しない素朴な建物を歌ってゐるのである。

民俗学者の池浩三氏は、この歌に大嘗宮を歌ったと思はれる節があると、控へ目ながら確信をもって仰ってゐる(『家屋文鏡の世界』)。「室」は土間のことだが、大嘗宮の原型も『儀式』や『延喜式』に示されるやうに土間形式である。さらに想像をめぐらすならば、古代の大嘗宮内の儀式は、土間にススキの英産を敷いたのが本来の姿だったのではないか。この歌が大嘗宮を歌ったものだといふ説には、検討の価値があらう。

<茅の不思議な力>

ここでススキの植生に話を転じたい。ススキの繁茂は火山列島である日本の宿命といへる。ススキの仲間は、日本と同じ温暖な気候帯であるカリフォルニアから地中海よりも、むしろ日本と同じ火山を持つ東南アジアなどに自生するのだが、実は植物的な研究はほとんどされてゐない。そのなかで近年、土壌研究との関係で注目されるやうになってきた。日本の土壌はススキが自生する「黒ボク土」と、「赤土」の二つに大きく分けられる。黒ボク土は、 関東ローム層のやうな火山灰の降り積もった地形にできるとされたものの、真っ黒である理由が説明できなかった。火山灰の主成分では灰色になるはずだからである。

それが、野焼きを約一万年繰り返した結果であることがわかってきた。森林化せずに草原が更新され、そこで草原性の植物が豊かな実りを齎す。イネ科の多年草であるススキはまさしくその代表なのである。

火山も黒ボク土もない土地でも稲や小麦は作られるが、大抵の土壌は劣化して砂漠化する。日本では火山爆発や大地震等の自然災害による地殻変動によって土壌が常に更新されてきたことから、「黒ボク土」の土壌が日本の持続的な農業の永遠性、「万代」と結びついてきたといへる。

ススキと「黒ボク土」は環境問題の面で有益である。黒ボク土はふかふかした黒い土で農耕に向いてゐるのだが、これはススキがある結果なのだ。「黒ボク土」の主成分は火山灰と同じケィ素で、色を出してゐるのは炭素であって植物を燃やさない限りできない成分だが、そこに木が生えると炭素が変化したり消費されたりして赤土に変はってしまふといふ。しかし、ススキが生えた草原だと微粒炭素として固着し、一万年間も蓄へられるのである。ススキが炭素を固定する働きを有してゐるからこそ、農耕に適した黒ボク土が育まれるのである。ススキのモノを固着する性質がひじょうに強いといふ特徴は、おそらく火山灰の中にいち早く根を張って繁茂する上で獲得した性質と考へられる。福島の原発事故の後、周辺はススキ野原に変はってゐるのだが、放射線セシウムが固着されてゐるといふこともわかってきた。このやうに、いろいろなものを浄化するといふ茅の作用が科学的にわかってきてゐる。

伊勢の神宮の屋根を茅で葺くことは、最も安くて大量にあるからだといふことが建築学で説明されてきた。しかしあらゆるものを浄化させる力を秘めた茅を用ゐることからは、合理的な説明を遙かに超えた意味が読み取れる。茅に対する意識、古代の人は茅の「力」 気付いてゐた。特別な植物だからこそ、屋根材と して葺くことが大切であ ると考へたのではないだらうか。

次回に続きます。


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