投稿日:2020年2月12日(水)
【暦で見る九星の運勢シリーズ】八白土星:2月(各自の九星についてはブログ末尾の表をご参照ください)「吉方…なし 自信に溢れ、気が大きくなりそうです。前へ前へと進みたくなりますが、少し下がって。前向き姿勢は良い事とはいえ過ぎれば嫌われて孤立する恐れあり。周囲との和を大切に」とのことです…権禰宜の遠藤です。
さて去る2月9日(日・初午)、東仲之町の広瀬総代の邸内にあります東仲之町の守り神様である白笹稲荷神社(左)と、広瀬家の高廣稲荷神社(右)の初午祭の奉仕に伺いました。
町内5名の方々にご参列いただき、先に白笹稲荷のお祭りを、皆さんがお帰りになってから高廣稲荷のお祭りを執り行いました。
高廣稲荷の中には『再興 文化七庚午年十月』の揮毫があり、少なくとも200余年前にはお祀りされていたことが窺い知れます。
また、広瀬家のご先祖様については森脇町の稲荷神社と深い縁があり、過去のブログ記事を転載しておきます。
~祭典終了後、比較的古くから森脇町にお住まいで総代の酒井さんや古美根菓子舗の小峯晴吉さん、町内会長さんに伺ったお話しを記しておきます。
『森脇のお稲荷さんは、昔みそのの坂の上にあった。国体やオリンピックの道路の拡張で4回目の移動で現在地にある。』
『その昔、森脇には5軒しか家がなかった。食べる物も無い時代、東仲之町の広瀬さんという方が(現在、東仲之町総代の広瀬さんのご先祖様)食べ物を分けてくれたり、色々良くしてくれて徐々に住む人が増えてきた。その御礼も込めて、現在地に鎮座する際、鵠沼から綺麗な砂を2袋持って来て、穴を掘って砂を敷き、廣瀬さんの髪の毛と爪を壺に入れて埋納、その上にお社を建てた。』~
▽広瀬家の高廣稲荷は、かつては今よりも少し北寄りに建てられていたとの事。当時のお写真を見せていただきました。鳥居の礎石や燈籠がそのまま使われているそうです。
町内の皆さんのご健勝とご安泰を祈念申し上げます。おめでとうございました。