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【神社新報記事】遊行寺境内社など有形文化財登録

投稿日:2015年12月16日(水)


社務所の窓から見える銀杏の木の葉が目に見えて減っております。そして木の下には黄色い絨毯が。もう一息です…権禰宜の遠藤です。

さて、神社界唯一の業界紙である『神社新報』平成27年12月14日付の紙面に、藤沢市や伊勢原市の文化財に関する記事が掲載されましたので、ご紹介致します。

神社新報記事
「<文化審議会答申 祖霊社など登録>
文化審議会(宮田亮平会長)は十一月二十日、新たに百二十四件の建造物を登録有形文化財とすることや、史跡名勝天然記念物の新指定十四件などについて文部科学大臣に答申した。このうち神社関係では東京・御嶽神社の末社一山神社祖霊社、神奈川・清浄光寺境内の宇賀神社、同・高部屋神社本殿などの有形文化財登録や、邸内社を含む北海道・旧歌棄佐藤家漁場、出雲大社と強い結びつきを有した島根・鰐淵寺境内の史跡指定などが含まれる。文化庁の報道発表資料等による概要は以下の通り。

<登録有形文化財>
~中略~
【清浄光寺宇賀神社=神奈川県藤沢市】
「遊行寺」と通称される時宗総本山寺院の境内社。明治前期の建設とされ、向拝廻りを彫刻で濃密に飾る。本堂や惣門等境内の主要建造物と一連で登録される。
遊行寺境内社 宇賀神社
<宇賀弁財天(うがべんざいてん:弁財天と蛇神である宇賀神が習合した神)>
「徳川家の祖有親の守り本尊といわれ、遊行十二代尊観上人の弟子となり徳阿弥と、長子の親氏は長阿弥とあらためられました。また次男泰親は独阿弥となり、三河国大浜称名寺にうつられるとき、遊行寺に奉納されたと伝えれらています。長阿弥はのちに三河国松平の酒井家の養子となり、独阿弥は松平家の養子となり、その子竹若丸は松平を、次男竹松は徳川信光と称しました。徳川家の祖先です。徳阿弥は松平郷に庵室をかまえ生涯を閉じたそうです。
しかし、当時どのように祀られていたのかは不明ですが、寛政6年(1764)11月に当山が焼失したさいに、宇賀神殿も類焼しました。このとき、幕府に願いでて白銀30枚を再興費用としていただいています。さらに天保年間にも宇賀神再興にあたって、同様の費用をいただいています。現在の建物は明治13年に類焼し、のちに再建されたものです。
宇賀弁財天は開運弁財天ともいわれ、俗に銭洗弁天として江戸時代から藤沢宿の人々に信仰されました。現在でも銭を洗うことによって、財福を招くと信仰されています。
昭和9年7月に遊行六十七代尊浄上人によって「八大龍王碑」が建立されています。」(遊行寺Webサイトより)

高部屋神社本殿、拝殿、及び幣殿(へいでん)=神奈川県伊勢原市】
本殿は江戸時代前期の部材を用ゐて関東大震災後の昭和四年に再建されたもので、五間社流造の大規模なもの。慶応元年(一八六五)に建築された茅葺の拝殿及び幣殿は、躍動的で濃密な彫刻で向拝を飾る。」


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
ぜひ早起きした朝やお休みの日にでも、お気軽に当社にお越しください。皆様のご参拝を心よりお待ちしております。