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今日のフジ と 【神社新報コラム】鎮守の森の過去・現在・未来~そこが知りたい社叢学~③

投稿日:2022年4月20日(水)


フジの開花状況に関するお問い合わせが非常に多くなっております。当ブログにて当日朝の状況をお知らせしておりますので、是非ご覧ください…権禰宜の遠藤です。

<今日のフジ>

▽義経藤_最も伸びている房でこのくらいです。

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▽弁慶藤_かなり咲いてきました。見頃は来週でしょうか

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さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』第3574号掲載のコラム「鎮守の森の過去・現在・未来~そこが知りたい社叢学~」をご紹介致します

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神社新報社業学20220207

【鎮守の森の過去・現在・未来~そこが知りたい社叢学③~ 鎮守の杜の古形と祭_杜と子守】

「杜」と「社」の文字はよく似てゐる。木偏か示偏かの違ひであり、活字が小さいとしばしば読み間違へることもある。木と土を組み合はせた杜は、文字のイメージからしても「もり」の訓を充てたのは自然であった。しかし、上代文献には杜をいはゆる「もり」の意味で用ゐた例は皆無に近く、「もり」の意味には「社」が対応し「もり」と「やしろ」の訓が充てられてゐた。

十世紀初頭に成立した現存最古の漢字辞書『新撰字鏡』には、「社」は、「やしろ」「もり」「さかき」の和訳が記されてゐる。「社」はまた人の集まる「社会」の核心にあり、「社」に人々が集まって物事を相談していくといふのが「社会」(社十会)の原義と白川静氏(『字訓』)はいふ。

【『万葉集』に見える社】

西宮一民氏は上代文献に見える「杜」と「社」の文字を分析し、「万葉集には『杜』の字は一字もなく、『社』の字でモリと訓ませるものばかり」とした上で、『万葉集』『風土記』では「もり」の表記として、専ら「社」を当ててをり、「杜」は植物の名として、あるいは「ふさぐ」との意で用ゐられることはあるが、「もり」の意で表記してある。箇所は皆無であるとした(「森と社-言語の視点から-」『悠久』八十一号、平成十二年五月)。

『万葉集』には、七カ所の社十一首、三カ所の神社三首が詠まれてゐる。よく知られてゐるのは例へば、①磐瀬の社(奈良県生駒郡斑鳩町)を詠んだ「神名火の伊波瀬の社の呼子鳥いたくな鳴きそわが恋まさる」(巻八・一四一九)の歌など。他に②三笠の社(福岡県大野城市山田)、③妻の社(和歌山市関戸)、④龍田の社(奈良県生駒郡三郷町龍野)、⑤石田の社(京都市伏見区石田森西町)、⑥浮田の社(奈良県五條市今井)、⑦雲梯(うなて)の社(奈良県橿原市雲梯町)をあげることができる。

また、「神社」と表記して「もり」と詠ませた三首は、①「泣沢の神社」(巻二・二〇二)、②「卯名手の神社」(巻七・一三四四)、③「木綿懸けて斎くこの神社」(三輪山とされる。巻七・一三七八)。これに対して、『万葉集』に七首ある社の歌は、そのうち五首までが「ちはやぶる神の社」と表現される。西宮氏は、この「表現から、『神を祭る建物』がイメージできる」とする(前掲書)。

さらに、「ちはやぶる神の社」といふ定型表現は、春日野以外、具体的な社・場所に対応してゐない。一方「もり」の和訓を充てる「社」は、具体的な土地の神の坐す「もり」であり、神社である。つまり、神奈備山(山宮)と社(里宮)とを詠み込んだと解釈できる具体的な「もり」と、抽象的な「やしろ」とでは、同じく恋を詠み込んだ歌であっても、神聖性、その印象深さ、風土性には雲泥の差があるのだ。

【「もり」から「やしろ」】

西宮氏によれば、「杜」「が「もり」の意で使はれ始めるのは十世紀前後からであるといふ。新たに「もり」の意を木+土の合字に託したのである。「もり」の意味を担ふ字は、「社」から「杜」に取って代はられ、社は「もり」の訓を失ひ、専ら「やしろ」と訓じられるやうになったのであった。

かくして社会の支へとなってゐた天と地の気を通ずる聖なる社は、建築物としての社となって、社会の中心たる本来的意味が忘れられていった。

こもりと稲魂の関係

各地の生活風土は神の社に守られてきた。同時にモリは水を生み出す母であり、稲作の豊穣祈願とも関はってきた。またモリは子守にも通じ、母性のイメージを象徴した子供を守る、慈しんで育てる信仰も、モリの中に「見出すことができる。

地域の実態調査からモリと稲と産育の信仰の関係を垣間見ることがでる。大和の「おんだ祭」はその典型で、高市郡明日香村の飛鳥坐神社(飛鳥坐山口神社)の「おんだ」などでは、子供を授かる行為を、爺さん婆さんの面を付けて、拝殿で抱き合って神事としておこなふ。子供を授かり、生み、育てるといふ子守の行為と、稲魂を育てる稲作の農耕と同じ意味を持たせてゐる。子供を授かる象徴的行為が、稲の豊作を願ふことになるのだ。

大和の六つの御県の神を合祀した磯城郡川西町の六県神社では「子出来祭」と通称される「おんだ祭」があり、田と見立てた拝殿で稲作の手順を演じる。最後に田を見回る田主のところに妊婦のウナリが昼間(昼食)を持って来る。ウナリ役は女装した男性。田主と問答をし、田主の問に答へてゐるうちに産気付き、お腹に入れてゐた赤子に見立てた太鼓を産み落とす。「ボンできた」「ボンできた」と一同躍して終はる。最後にウナリ役の男性が頭上に載せてた福の種を入れた桶を持ち出し、「福の種まかうよ」「福の種まかうよ」と唱へながら、拝殿の外へ福の種を撒く。参拝者たちは争って福の種を拾ひ、神棚に供へたり、自家の稲種に混ぜて苗代蒔きをおこなったりするのだといふ。

吉野郡吉野町吉野山子守に鎮座する吉野水集落分神社は、水源神であると同時に、古くから子授け、子育ての信仰が篤く、子供を授かりたいと願ふ親たちがここにお参りに来て祈願することでも知られてゐる。両の乳房を象った作り物を掲げた絵馬が奉納されてゐる。一般には子守宮と呼ばれ、子供の守護神として崇敬されてきた。

この子守宮では四月三日に「おんだ祭」がおこなはれ、初子の参拝などもおこなはれてゐる。大和の水分神社、山口神社、御県神社の三種の神社群は、水神のネットによって稲作の風土を作り上げると同時に、その祭りによって、子の誕生と生育、子守の風土が表現されてゐるといへよう。稲魂の誕生と成長は、すなはち赤子の誕生と成長と等しく見立てられたのである。

【「モリ」は霊魂の守護】

民俗学者・鎌田久子は「モリという語が霊魂の活動を示す語であることは、モリコ、モリキなどモリという語を附した語が、いずれも霊力を持つもの、神聖な事柄に関係したことをあらわすものであることから証明できるのではなかろうか」(「モリの文化」『方言研究の問題点』平山輝男博士還暦記念会編、明治書院、昭和四十五年刊)と。その上で、モリが霊魂の降臨する神聖な場所であることと共通して、「子守のモリも、本来の意味は、幼児の霊魂を安定させるもの、ひいては幼児の霊魂の守護者といふ意味があった」と解説してゐる。大和の風土が、水源神である子守明神によって稲作と子供の魂が守られる母なる大地として造られてゐるやうに、神社そのものがモリであり、その地域に暮らす人々、とくに子供たちの霊魂の守護者としての役割を担ってきたのである。」

 


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
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