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伊勢神宮崇敬会だより「みもすそ」①

投稿日:2019年5月15日(水)


昨日の荒れ模様とはうって変わり、雲の合間からみえる青空と心地よい風が吹いていますね。公園でのんびりひなたぼっこをしたいです…権禰宜の佐藤です。

さて、本日は伊勢神宮崇敬会だよりである「みもすそ」をご紹介致します。

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今回は、電灯が普及する以前まで人々の生活を照らしていた灯明や和ろうそくの燃芯である灯芯の産地である、奈良県安堵町に受け継がれる手技が特集されました。

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灯芯

「電球が発明されるまで、人々は植物や加工品を燃やして灯りにしてきました。屋外では庭火や篝火、松明。屋内では奈良時代から植物の油を用いた灯明や和ろうそくが寺社を中心に。江戸時代に菜種油の製造が始まると、皿に油を入れ、そこに浸した灯芯に火をともし照明としました。

灯芯とは、藺草から取り出したズイ(髄)のこと。原料となる藺草はイグサ科の多年草。別名トウシンソウともいい、畳表の原料とは種類が異なり、茎が太く、丈の短い品種です。

奈良県生駒郡安堵町では、江戸中期から昭和四三年頃まで灯芯用の藺草が栽培され、町の女性たちは農作業の合間に灯芯をひく(取り出す)仕事を担ってきました。

今も神宮の夜の祭典では灯明を用いています。今号では、東大寺のお水取りなど各地の伝統行事を支える安堵町の灯芯に関わる歴史をご紹介します。

[湿地を生かした冬の田植え]

いせから車で約二時間。安堵町は、全国で三番目に小さい町で、世界最古の木造建築で知られる法隆寺のすぐ東隣にあります。町は大和川、富雄川。岡崎川が合流する低湿地帯。ここに水田を拓いた先人たちは、水はけの悪い土壌を逆手にとって、コメの裏作に湿地を好む藺草を選んだのです。

「地の利を生かしたことに先人の深い洞察力を感じます。安堵町では稲刈りを終えた晩秋に藺草を植えるので『冬の田植え』と言い、灯芯のことは『とうしみ』と呼んできました」

橋本紀美さんは、安堵町歴史民俗資料館の館長。町の歴史や伝統、民俗資料を展示する同館は。安堵町役場のすぐ近く。郷土の旧宅を活用した館内では、灯芯ひきを後世に伝えていくため、定期的に体験会(事前申込制)を開催しています。

高度経済成長期、電灯の普及や工場開発など様々な要因から、町では藺草の生産が行われなくなりました。平成八年に「灯芯保存会」が発足。資料館前の水田で藺草栽培を復活させ、灯芯ひきの技術を次世代に伝える活動を始めました。現在約四十名の会員を数えます。

[ひき台で藺草の皮をむく]

藺草が灯芯になるには一年を要します。晩秋、田に植えられた苗は水中で冬を越し、春から分けつして株が成育し、七月上旬に収穫を迎えます。梅雨の晴れ間を狙って鎌で刈り取り、川原の土手に広げて天日で乾燥させます。翌日から三角錐状の束に立ててさらに乾燥を促し、カラカラに乾いたら新藺の出来上がり。冷暗所で保管し、必要に応じて灯芯をひきます。

「ひく前日から水にうませ(浸し)て柔らかく戻しておきます」

町議員の方が灯芯ひきを実演してくれました。専用のひき台につけられた水平の刃に直径三ミリほどの藺草の穂先を一本ずつ突き刺し、左手でずれないよう押さえながら右手をすっと引くと、小気味のいい音とともに、乳白色のそうめんのようなズイが飛び出しました。

ズイは柔らかいスポンジ状で、その毛細管現象によって油を吸い上げ、炎を燃焼させる灯芯として用いられてきました。単純な作業に見えて、一メートル近いズイを切らずに引き出すには高い技術と根気が必要です。保存会の中でも、長灯芯の束をまとめられるのは数名とか。祖母や母の手技を見よう見まねで手伝ったことのある八十代、七十代の方の経験が貴重な財産となっています。」

次回に続きます。


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