投稿日:2020年2月28日(金)
【暦で見る九星の運勢シリーズ】七赤金星:3月(各自の九星についてはブログ末尾の表をご参照ください)「吉方…南東・北西・北東 周囲の事が気にかかり目移りしそうですが落ち着いて。今自分が何をすべきかという目的意識を明確に。何事もその場限りの思い付きは、破運を招く恐れがあるから十分注意を」とのことです…権禰宜の遠藤です。
さて、先日に続き、伊勢神宮崇敬会発行の『みもすそ』93号(令和二年冬)より、特集「伊勢の伝統木工芸」を御紹介致します。
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内宮前に工房を構える伊勢唯一のくりもの職人 伊勢玩具 畑井 和也さん
だるま落とし、けん玉、こま、ヨーヨー。懐かしい木製玩具の数々は、内宮前の「畑井工房」が作っています。
明治初期から当地で続く伊勢玩具は、木を材とする「刳物(くりもの)」と大鋸屑を固めて作る「練物」との総称。どちらも参宮の土産として発展してきましたが、近年練物業者が廃業し、刳物を手掛けるのも畑井和也さんのみとなってしまいました。畑井さんは三代目。祖父が阿漕(三重県津市)の木地師から技術を習い、帰郷後工房を構えました。
「私が家業に就いた三十数年前は、市内に五、六件の同業がありました。昔は駄菓子を売るような量産品で、質が悪いのもあったんですが、県の伝統工芸品に指定されてから品質がどんどん向上しました。」
材料は、当地ではサルスベリと呼ぶヒメシャラが主です。昔から炭を焼くのに近隣の山に多く植えられていました。硬く緻密な材質で、発色がいいのが特徴。ぱっと目を引く赤、緑、紺のシンプルな色使いは、大人が見ても綺麗です。子どもが遊ぶものなので、なめても大丈夫な塗料を重ね塗りをして仕上げます。
「簡単そうに見えて、一本一本くせが違いますから『木を見る目』がないとできない仕事です。」
畑井さんは玩具の他、お盆や酒器、ときには家具の部品など、技術を頼みにされると柔軟に対応してきました。その信頼の積み重ねが、今日まで続けてこられた秘訣でしょう。参宮の歴史と共に発展してきた伊勢ならではの工芸品。令和二年の初詣記念に求められてはいかがでしょうか。
朝熊本黄楊を精緻に彫り、磨く手のひらに載る小宇宙 伊勢根付 中川忠峰さん
「昔から根付は彫った分(時間)だけ磨け、と言われます。」
中川忠峰さんは、そう言って二つの根付を持たせてくれました。一方は手の中で肌に吸い付くよう。それに比べると、他方はそこまで滑らかではありません。彫りではなく、磨きの違いです。紙やすりの番手を細かくしながら磨き込み、鹿革で拭いて仕上げるのです。
根付は、和装が主だった江戸時代の留め具。いわばキーホルダーです。かつては巾着や煙草入れを帯にはさみ、腰にぶら下げた時に落ちないようにするのに活用しました。着物や帯を傷つけないよう、手触りの良いフォルムが求められたのです。当初は簡素な造りで、伊勢参りの土産物として人気を博しましたが、時代が下るにつれ意匠を凝らした作品が作られるように。幕末から明治初期にかけて当地で名作を生み出した鈴木正直の頃より、根付は美術工芸品へと高められました。
伊勢根付の材料となるのは、伊勢志摩の山林に自生している「朝熊黄楊」。土壌が痩せていても気候が冷涼なため成長が遅く、それゆえに組成が密で硬く、木 の宝石、と呼ばれます。
直径は約三~四センチ。初心者は完璧 な球体に削っていくのが修業の第一歩で すが、この道四十年を超える中川さんと もなると造形の発想と技術力がずば抜け ています。イカの背中に昆布を付けた「こ ぶじめ」。ウサギがカメにおぶさった「今 度は仲良く」。サヤの中に豆が入ったエ ンドウなど、からくり仕掛けの作品もあ り、いつまでも飽かず眺めてしまう掌の 上の小宇宙です。
「私は元々は大工でした。腰を痛めたの で、座って仕事ができる仏師をめざそう と木彫に転じたのです」
地元の木彫会に入ってから根付を彫る ようになった中川さんが、根付一本でい ける自信を得たのは一九八七年。東京の 百貨店で開催された根付展会場で、高円 宮殿下に作品を求めていただいたのが きっかけといいます。以来、県内外で根 付教室の講師をしながら後継者育成と業 界の発展に尽くしてきました。
「地域によっては動物の牙や、竹なども使われますが、伊勢根付は地元産の朝 熊黄楊だけ。今は山から木を出してくれ る人がいないので、自分でリュックを背 負って地域の持ち山へ入らせてもらいま す。伐った分の倍は苗木を植えてくるん ですよ」
資源を枯渇させない心配りも怠らない 中川さん。工房はまちかど博物館として 無料で公開もしています(要予約)。