ホーム » ブログ » 時局問題など » 靖國神社社報 『靖國』 記事紹介

靖國神社社報 『靖國』 記事紹介

投稿日:2016年3月12日(土)


近頃は「半ドン」って聞かなくなりましたね。もともとは、明治の頃毎日正午に皇居で撃っていた大砲の音「ドン」から来ているそうです…3月12日は「半ドンの日」…権禰宜の遠藤です。

さて、崇敬会員として毎月送付いただく靖國神社社報『靖國 第728号』に公開シンポジウムの記事が掲載されていましたので、ご紹介致します。
タイトル
『靖國』
「【崇敬奉賛会だより171  第十七回公開シンポジウム「生きるということ」開催】
去る一月十七日、ホテルグランドパレスにおいて、武田邦彦中部大学教授と髙橋史朗明星大学教授を講師に迎え、第十七回公開シンポジウム「生きるということ」を開催、約六百名が参加した。
第一部では「科学的視点から見た歴史と祈り」という副題で武田氏による基調講演が行われ、第二部では髙橋氏の司会により、参加者からの質問に両講師が答える形式で質疑応答が行われた。
《わずかだった有色人種の独立国》
登壇した同氏はまず、十九世紀初めの白人国家以外の独立国はエチオピア、シャム(タイ)、中国、日本の四ヵ国であったが、エチオピアは風土病のため白人が征服しようとせず、シャムは英仏双方が植民地化を狙い睨み合っていたこと、シャム王家の外交により形式上は独立を保つことが出来、中国(清)は白人側について領土と引き換えにして何とか生き延びた、と各国の事情を説明したうえで、自力で独立を守った有色人種の国は日本だけだった、と当時の様子を語った。
《日本が掲げた人種差別撤廃という大義》
次に、第一次世界大戦後のパリ講和条約で日本は人種差別撤廃条項を提案したが、植民地支配が崩壊してしまうイギリスなどの強硬な反対に遭い、やむなく却下された。しかし、一九四三年にアジアの国々が集って開催された大東亜会議では武力による侵略禁止と、他国の文化の尊重と人間の平等を謳った画期的な大東亜宣言が採択され、これが大東亜戦争後の植民地国独立への契機となったと言及した。その上で、戦後の各国独立は人種差別の撤廃という大義を掲げて大東亜戦争を戦った英霊のおかげであり、千年後の歴史には日本が大東亜戦争を戦ったことで世界の人種差別が無くなったと記されるであろうと予見した。
《科学的に見た寿命》
後半、世間では健康であれば長生きが出来ると認識されているが、寿命はすでに決まっており、健康ならばその寿命に到達できるということに過ぎないと論じ、生物には他の仲間を守るなどの責任が生じた場合にのみ寿命を決めるスイッチが入り、用が無くなると生きられないようになっていると述べた。その例として、女性が長生きなのは子や孫を初め他人の世話をよくすることで集団に貢献しているからで、年を経た男性は生きる意味を見失っているために女性よりも早く死んでしまうのである、と論を展開。その上で、周りに自分の存在が認められると、他人のために働こうとして寿命のスイッチが入り長生きするのだと述べた。
《先人と我々をつなぐ靖国神社》
また、魚のボルボックスやイワシなどが大きな敵に遭遇するなど危機に直面すると特殊な伝達方式によって集団となると同様に人間にも同じ感じ方あるとして、神社の境内で爽快な気分や先人に遭った気持ちになったり、心と心が通じるとか昔の人と会話ができるということは、現時点では解明されていないだけで科学的に何もおかしくはないと述べた。
最後に、却ってきた戦歿者の魂と現世の我々が情報交換をできる靖国神社という存在は非常に意義深いと述べるとともに、我々の使命は、先人の素晴らしい行いを子孫に伝え、その子孫が元気な人生を送れる社会をつくりつつ、社会に貢献して生きることの大切さを認識して素晴らしい日本を再構築することである、と講演を締め括った。
第二部では髙橋氏の進行で、会場から寄せられた質問に武田氏が答える形で質疑応答が行われた。多岐に及ぶ質問に一つ一つ丁寧に回答し、二時間半に及ぶシンポジウムを終えた。」


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
ぜひ早起きした朝やお休みの日にでも、お気軽に当社にお越しください。皆様のご参拝を心よりお待ちしております。