投稿日:2019年6月28日(金)
【神道百言㉟】
『わが心清めてよく見れば まことは神も我が心なり』~橘弘政・心の百首~
(心の百首は伊勢豊受大神宮の祠官橘(久保倉)弘政が天明8年(1.788)に、童蒙教訓のために詠んだものである。
神の存在を認識するのは、自分の心に外ならないことをいつたものである。神のありやなしの問答は、その人の心が、これを問題にしてゐるのである。その意味に於て、心こそは神に通ずる肝腎な通路だといへる。心の奥底にひそむこの霊智を早く見出し、霊眼の早く開けた人の人生ほど、幸福にして、幅広いものはない。)
日本では何を勘違いしたのか、何でもかんでも『政教分離』が幅を利かせ、公教育で宗教を扱うことがタブー視されていると聞きます。
眼に見えないものの存在を信じることが出来るか、出来ないかは、道徳心の醸成に大きく関わるものと思います。『神様が見ている』『神様は見ている』宮司です。
さて去る17日(月)、神社鳶頭の渡邊さんと勝栄土建の河合さんが来社下さり、弁慶フジ前の竹柵を新調して下さいました。
以前は、手前に見えます円柱の石(昔の鳥居を活用したもの)の上に板が渡してあり、「長椅子」兼「柵」の役割をしていましたが、木が腐ってからは取り外し、竹を渡して柵にしておりましたが、それも腐り、どうしたものかと思案しておりましたところ、『寒川神社の真似をしてやってみようかと思います』と、庭師ではないお2人が作業をして下さいました。
先ずは竹を裂き、薄く削ります。これがなかなか面倒だったとのこと。
火であぶりながら曲げて行きます。これもなかなか面倒だったとのこと。
横に渡した竹を固定するべく、先程作製した細い竹で留めます。
お洒落に飾り紐を結んで完成です。
写真を撮り忘れましたが、木の支柱が腐りにくいようにバーナーで焼き目を付けて下さると共に、円柱の石の上部を綺麗に削って下さいました。
尚、勝栄土建さんのブログにもご紹介いただいておりました。(神社関連の記事も多くありますので、過去のブログもご覧になってみて下さい)
『少しづつですが綺麗にして行きます。次は砂利の坂道を綺麗にして、その次は参道の・・・・。あれもやりたいですよね。』と、次々にご提案下さり大変有り難い限りです。
我々神職は神様への『奉仕』を常としておりますが、そこには『〇〇でありますようお願いします』という、言葉は悪いですが所謂「見返り」を求めています。しかし、お2人の行為は、まさに無償の『奉仕』であり、誰とも知らないご参拝の方々のための『利他の精神』で貴重な時間をお使い下さるお心は大変崇高であり、こうした方に整備いただけることを誇りに思います。
(お言葉に甘えて)今後も宜しくお願い致します。ありがとうございました。