投稿日:2019年2月12日(火)
【神道百言⑭】
『世の人の本の本末思はずて 末の本末いふがおろかさ』~本居宣長・鈴屋集(寛延元 1.748年~享和2 1.801年)~
(「本の本末」とは、我が国の根本の道義、歴史と末梢的なことの区別を明らかにすべきことを言つたもので、日本人が日本の道の根本を思はず、末の世の外国から来た知識や思想に踏み迷ひ、自分の国の本来の在り方を忘れてゐることに対する警告だと見ることができる。神道を説くについて古事記・日本書紀の古典に道の本源を尋ねることを忘れて、世界の宗教学だけに今日に生きる道を求めようとしてゐる愚に警告を発したものといふべきである。)
”元々本々” はじめをはじめとし、もとをもととする。日本とは?神職とは?と、原点を見つめ直し、その本質を追究するのが神社人としての役割であろうと思う宮司です。
さて去る10日(日)、東仲之町の広瀬総代の邸内にあります東仲之町の守り神様である白笹稲荷神社(左)と、広瀬家の高廣稲荷神社(右)の初午祭の奉仕に伺いました。
町内6名の方々にご参列いただき、先に白笹稲荷のお祭りを、皆さんがお帰りになってから高廣稲荷のお祭りを執り行いました。
高廣稲荷の中には『再興 文化七庚午年十月』の揮毫があり、少なくとも208年前にはお祀りされていたことが窺い知れます。
また、広瀬家のご先祖様については森脇町の稲荷神社と深い縁があり、過去のブログ記事を転載しておきます。
~祭典終了後、比較的古くから森脇町にお住まいで総代の酒井さんや古美根菓子舗の小峯晴吉さん、町内会長さんに伺ったお話しを記しておきます。
『森脇のお稲荷さんは、昔みそのの坂の上にあった。国体やオリンピックの道路の拡張で4回目の移動で現在地にある。』
『その昔、森脇には5軒しか家がなかった。食べる物も無い時代、東仲之町の広瀬さんという方が(現在、東仲之町総代の広瀬さんのご先祖様)食べ物を分けてくれたり、色々良くしてくれて徐々に住む人が増えてきた。その御礼も込めて、現在地に鎮座する際、鵠沼から綺麗な砂を2袋持って来て、穴を掘って砂を敷き、廣瀬さんの髪の毛と爪を壺に入れて埋納、その上にお社を建てた。』~
お稲荷さんと遊行寺の紋?でしょうか。謂われは不明とのことでした。
東仲之町の初午祭の時には雪が降ることが多く、1度延期になったこともあり、前日の降雪には驚きましたが無事に行え安心致しました。
町内の皆さんのご健勝とご安泰を祈念申し上げます。おめでとうございました。