投稿日:2022年8月21日(日)
【続 神道百言34】
『祈禱(のみいのり)申すとは、「のみ」は呑込み、心源に入れるなり。「いのる」とは言ひ宣るなり。心中に湛へたる誠を、有りのままに言葉に宣るなり。』~玉木正英・玉籤集祈禱之伝~
(玉木正英は江戸時代中期、一般人に神道を分かり易く説いた。ここにいふ「祈禱」を、古語では「のみいのる」と呼んでゐるが、その意味は「のむ」とは呑込むこと、神に祈る心がまへを充分に心のうちで咀嚼(そしゃく)しておくこと。
「いのる」とは「言ひ宣る」ことで、心中に入つてゐる「誠」真実、真理をそのまま、言葉に出して表現することだといふのである。ここにいふ「誠」とは何か。天照大神の御教へに従へば、利己心(俺がといふ我)を捨てること。今日自分のゐることについて親祖先の神のお蔭だと感謝すること。自分だけが完全でない以上、人々はお互に他人をそしらず、助け合つて生きていくべきこと。この三つを日常の心がけとして、さうした人物になることが、誠の人になる所以である。それに成り切つた人の言葉は、誠の言葉として受け取られるに違ひない。)
祈祷をする時には、願い主の気持ちを呑み込んでから声に出して神様に伝える。簡単なようで、とても奥が深いです。宮司です。
さて去る17日は、毎年曜日に関係なく藤沢市鵠沼神明鎮座 皇大神宮(こうだいじんぐう)の例祭・湯華神楽が3年振りに行われお手伝いに伺いました。
例年同様、7時に伺い神楽場の準備を行い一旦帰社、午後2時30分からの例祭に合わせて昼食後に再度伺いました。
同社ではかながわの祭り50選に指定されている人形山車9基の巡行が有名ですが、本年は巡行無し、お囃子も2町内会のみの奉仕となったそうです。
例祭には、神奈川県神社庁理事・伊勢原大神宮宮司様が献幣使として参向され、参列は神社役員・総代・兼務神社代表のみの縮小での斎行となりました。
例祭終了後の湯華(ゆばな)神楽は、同社では12座が通常ですが縮小の8座での奉仕となり、私はお祓いと射祓(いはらい)の奉仕をさせていただきました。稽古をしていないこともあり、神様に申し訳ない奉仕となりました。
鵠沼の「いっとき祭り」と言われるだけあって、帰る頃には何事も無かったような静かな境内でした。
久しぶりのお神楽奉仕、やはり3年のブランクは相当なものがありました。当社の秋祭りの際には、しっかり稽古をして奉仕したいと思います。
皇大神宮様の益々のご隆昌と、氏子区域の平穏安泰を祈念申し上げます。おめでとうございました。