ホーム » ブログ » 源義経公聖地巡礼の旅 7日目④

源義経公聖地巡礼の旅 7日目④

投稿日:2019年7月31日(水)


梅雨明けを迎え、陽ざしの強さと熱風に本格的な夏を感じますね。水だけではなく、塩分などミネラルをとるよう心掛けています。権禰宜の佐藤です。

白旗神社では本年が御祭神 源義経公没後830年との節目の年を迎えると共に、新帝陛下の御即位をお祝い申し上げるべく記念事業を実施致しております。

源義経公 没後810年には、栗駒と藤沢の両地での慰霊祭の後、栗駒の菅原次男氏が御霊土(みたまつち)を担いで往復一千キロの道程を歩き、鎮霊碑(白旗神社)・奥津城(栗駒)が建立され、御首と御胴体が合わせてお祀りをされました。今年は、藤沢市の首塚と宮城県栗原市の胴塚の御霊が合祀されてから20年の節目を迎えます。

記念事業の一つである「源義経公聖地巡礼の旅」では、栗駒・藤沢でそれぞれ慰霊祭を行うと共に、胴塚の御霊土を担いで源義経公所縁の地を徒歩巡礼し御霊の慰霊並びにご神威の益々の発揚を願います。

4月17日に宮城県栗原市にあります源義経公奥津城にて奥津城慰霊祭・聖地巡礼奉告祭を行ったのち、胴塚の御霊土を持って古美根菓子舗の小峯憲さん(白旗神社 森脇町総代・横町山車囃子保存会  会長・牛若会会員)が聖地巡礼の旅に出発されました。

今回はその7日目の様子をご紹介致します。写真をたくさん撮っていただきましたので、数回に分けてご紹介致します。(7日目③の様子はこちら

~源義経公聖地巡礼の旅 7日目④~(この記事は5月上旬の様子を記事にしています。Facebookのイベントページをご参照ください)

源義経公聖地巡礼の旅 7日目(5月2日)

巡礼の旅の目的の一つである義経公ゆかりの地にようやく到着。義経腰掛松と弁慶硯石にて慰霊。

7日目④2

7日目④

7日目④3

7日目④4

7日目④5
義経の腰掛松は国見町の天然記念物に指定されており、国見町のホームページを見ると、
「江戸時代の紀行文や文学作品・絵図にたびたび登場し、街道を行き来する人々が愛でた、天下の名木「義経の腰掛松」が国見町の石母田にありました。
平安時代末、藤原秀衡をたより源義経が金売吉次とともに平泉へ下向する際、松に腰を掛けたとの伝説が由来として伝わります。松は、江戸時代の旅人や文人が義経一行に思いをはせる場所となり、「弁慶の硯石」・「伊達の大木戸」(阿津賀志山防塁)とともに義経ゆかりの旧跡地として名所となりました。寛政12年(1800)には江戸の文人などにより文学碑が建立されています。
初代の「義経の腰掛松」は、幅35m、高さ4m程度、笠松状の優美な樹形から、天下の名松と紹介されるほどでしたが、文政4年(1821)に修験者が蜂を退治する際、誤って焼失させてしまいます。
焼失を惜しんだ当時の村人たちは、福島市上名倉から美しい樹形の松を譲り受け、文政6年(1823)に移植しました。松は二代目として、平成26年(2014)に枯死するまで、人々に親しまれてきました。
現在は、初代松の幹、根本を保存するための覆屋が建てられており、その傍らには二代目松の一部を接木により育成した三代目の松があり、地域の歴史とともに義経伝説を伝えています。」

との事です。

弁慶硯石は、源義経に仕えた弁慶が硯として用いたとの伝説や、硯となった中央の窪には水がかれる事なく溜まり続けるとの言い伝えのある奇岩。

7日目④6

7日目④7

7日目④10

この時点で日が暮れてきていましたが、この後頑張って福島まで歩き通し、7日目を無事終えました。

次回に続きます。


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
ぜひ早起きした朝やお休みの日にでも、お気軽に当社にお越しください。皆様のご参拝を心よりお待ちしております。