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神社新報コラム『杜に想ふ~球春~』

投稿日:2018年3月21日(水)


今日は春分の日。昼と夜の長さが等分になり、いよいよ陽の気が盛んになっていく始まりの日、なのですが窓の外を見ればなんと雪…権禰宜の遠藤です。

さて、神社界唯一の業界紙である『神社新報』3月19日号掲載のコラム「杜に想ふ」を御紹介致します。

杜に想ふ3.19

「【杜に想ふ】~球春~
「球春」がやってきた。
といっても、サッカー人気も高まってきたこのころでは、それを実感する人は少ないかもしれない。私たちの子供のころは、「巨人・大鵬・玉子焼」。あるいは「O・N」「神さま・仏さま・稲尾さま」といったほどに、野球人気が高かった。
私は、長年の巨人ファンである。野球に没頭してゐた高校二年までは、巨人に入団することを夢に描いてもゐた。しかし、いまは「あった」といひ直さう。最近の巨人には不可思議なことが多く、少々嫌気がさしてきてゐるのである。
たとへば、今年の宮崎キャンプでは、例年おこなってきた宮崎神宮への参拝をとりやめといふ。見た限りでの夕刊紙の報道だが、疑ふ余地はあるまい。そこには、私もお目にかかって以来信頼を寄せてみるところの評論家・須藤豊氏(元巨人)が疑義をとなえ、「おごりがあるのでは」とコメントしてゐるのだ (『夕刊フジ』二月七日号)。
必勝祈願とはいふものの「おかげ」を得る、得ないではない。新しいシーズンを迎えるにあたって気分を改め、皆が事なく恙なく過ごせるやうにと祈念する儀礼である。初詣でや出初め式、入学式や入社式などと同じ。そこでは、信条や宗派は問はない。個人よりもコミュニティー(この場合は、球団。といふよりも野球界)が優先される。ゆゑに、それを、日本人は「事はじめ」として共有、伝承してきたのだ。「終はりよければすべてよし」ともいふが、「はじめが肝腎」なのである。
プロ野球では、春季キャンプをおこなひだした昭和三十年代からの恒例行事であり、ほとんどの球団がホームタウンかキャンプ地の神社に詣でてきてゐる。球界における「事はじめ文化」といふものである。
現在にいたって、巨人がなぜに、といふ真相はわからない。球団がいひだしたのか、監督・選手がいひだしたのか。須藤氏は、「どれだけ宮崎神宮に世話になってきたか。(中略)支援してくれるキャンプ地にも、伝統を築いてきた先輩たちにも失礼だ」といふ。しかも、球団幹部が選手のサインを連ねた 絵馬を宮崎神宮に持参した、といふのだ。そこには、巨人軍といふ願主名はない。奉納絵馬は、寄せ書きのサインとは違ふ。これでは、「仏つくって魂入れず」である。文化軽視もはなはだしい。それを、須藤氏は、「おごりがあるのでは」といったのである。
私は、この記事によって、長年の巨人ファンを止めた。なあに、シーズンが始まって、巨人が勝ち進んだりすると、また応援することになるだらうよ。と、私の近まはりでの声もある。
しかし、好きになるには理由はないが、嫌ひになるには理由がある。私は、巨人が来年から球春参拝を復活させないかぎり、この一件を譲るつもりはないのである。
(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)


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