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神奈川新聞2月19日号にて当社の史跡が紹介されました

投稿日:2015年2月21日(土)


昔、徳の高いお坊さんが、「掃除は心のチリをも掃き清めてこそ」と仰ったそうです。われわれ神職も同じです。日々の清掃を、この言葉を胸に。権禰宜の遠藤です。

さて、神奈川新聞2月19日号「湘南 史跡を訪ねて」第173回にて、当社境内地にあります史跡が取り上げられていましたので、ご紹介致します。
神奈川新聞2/19付16面
「【藤沢 江の島道の道標】
藤沢市藤沢2丁目の白旗神社の山門を入ると、左手に高さ約1.2メートル、幅約0.2メートルの火成岩の尖塔が立っている。江の島道の道標だ。正面には弁財天を示す梵字の「ソ」があり、その下に「ゑのしま道」と刻まれ、右側には「一切衆生」左側には「二世安楽」と彫られている。道標には、江の島の弁財天への道をたどるすべての人々が現世では安穏であり、来世では極楽でありますようにという願いが込められている。東海道沿いにある藤沢は、かつては江戸からの五十三次の6番目の宿場であり、江の島道への分岐点でもあった。江戸時代は庶民の間で弁財天信仰が盛んであり、江の島の弁天さまをお参りする人々で大変なにぎわいを見せていた。藤沢宿から江の島までの5~6キロが江の島道であり、ここに元禄期(1688~1704年)にいくつかの道標が建てられた。これらは、すべて鍼医の杉山検校(1610~94年)による寄進である。杉山は本名を和一といい、伊勢の津で生まれた。江戸や京都で鍼術を習得し管鍼術を創案した。その新しい術は江島神社に参籠して会得したといわれている。61歳で盲官(盲人役職)の最高位である検校となり、5代将軍徳川綱吉の病をこの管鍼術で治療したことが高く評価され、幕府医官の関東総検校となり、そのお礼として多くの道標を寄進した。杉山が寄進した道標は白旗神社のものを含めて、現在15基の存在が確認されている。多くは藤沢市内にあり、その大半は467号のかつての江の島道沿いにある。白旗神社を起点に、江戸庶民の民間信仰による史跡をたどってみるのも意義深い」

昔の人々が、これらの道標をたよりに江の島への道を進んでいたと思うと、感慨深いものがあります。
往時を偲んで、道標をたどって歩いてみるのもよいのではないでしょうか。


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
ぜひ早起きした朝やお休みの日にでも、お気軽に当社にお越しください。皆様のご参拝を心よりお待ちしております。