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藤沢諏訪神社 神幸祭奉仕

投稿日:2011年8月28日(日)


 昨日終日、藤沢市大鋸鎮座 諏訪神社の例祭神賑行事の奉仕に伺いました。本来であれば神輿2基が台車に載って氏子町内全てを巡幸する神幸祭(しんこうさい)の予定でしたが、前日からの雷雨と天気予報を考慮し中止となり、神酒所で行われる神楽のみの奉仕となりました。

 遊行通り4丁目町内会は『庚申堂・こうしんどう』が神酒所になっております。

遊行通り4丁目の庚申堂

 ここの本尊様は60年に1度しか開帳されません。(次回は30年後)普段は布がかぶせてありますが、特別に写真を見せていただきました。

庚申堂のご本尊様

 諏訪神社の氏子区域は当社と隣り合っておりますが、南側は藤沢駅南口付近(江ノ電 石上駅)までと広範囲です。本年は神輿の巡幸が無かったため例年より1時間程早くお祭りが終わりました。

 例年通り、宮司様宅で直会の席を設けていただき貴重なお写真を拝見させていただきました。

 1枚目は昭和13年の諏訪神社例祭・神幸祭で、遊行寺の坂の下で撮影された集合写真です。戦時中ということで、【国威宣揚】 【武運長久】が祈願されています。写真右奥の榊の木(白い紙垂が沢山付けられています)は、『榊神輿(さかきみこし)』といい、神輿の上に榊を載せていたそうです。 写真中央の背の高い方が先代の諏訪功宮司様。一番右の神主さんが、戸塚の本多正義宮司様。(現在97歳、写真当時25歳。過日の当社例祭にもご参列下さいました) 本多宮司様の前に立っている小さな子が諏訪宮司様。(当時6歳)

 『年に1回、お祭りの時だけ靴足袋(?だったかと・・・)を買ってもらえたんですよ。それが嬉しくてね。』

ほんの70年前ですが・・・

 2枚目の写真は、昭和23年の神幸祭。藤沢駅北口 『角若松』前(料亭。数十年前まで営業されておりましたが、現在は名残すらありません)。ご覧の通り、神輿を走って担いでいます。大人の神輿が2基、後方に小さな神輿が4基見えます。白い短パンに半纏か上半身裸のようです。 『とにかくすごい人出でしたよ。』

当時の藤沢の人口は

 『お祭りの日には神社にロウソクが用意してありましてねぇ、オヤジが(宮司)「お灯明~」なんて言うと私が「へ~い」なんて言いましてね、ロウソクを刺して火を点けるんですよ。当時1本10円とか20円ぐらいでしたかねぇ。』

 色々なことを聞いて後世に伝えて行きたいと改めて思いました。

 お諏訪様の皆様にはおめでとうございました。


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
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