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伊勢神宮崇敬会だより『みもすそ』第103号(令和4年初秋号)「神宮摂末社の歴史 その21~贄海としての二見<前編>~」

投稿日:2022年8月3日(水)


今日8月3日は「はちみつの日」です。全日本はちみつ協同組合と日本養蜂はちみつ協会が昭和60(1985)年に制定しました。八(はち)三(みつ)で「はちみつ」の語呂合せ。

3月8日は両組織が制定した「みつばちの日」となっています。みつばちといえば先月末、境内の植え込みでみつばちが大量に飛んでいて、蜂の巣分れの最中だったようです。参拝者が誰もいなかったのが幸いでしたが…彼女らが無事に安住の地を見つけられるといいなと思いました…権禰宜の遠藤です

さて、伊勢神宮崇敬会だよりとして発行されております『みもすそ』第103号(令和4年初秋号)掲載の記事「神宮摂末社の歴史 その21~贄海としての二見<前編>~」をご紹介致します。

みもすそ103

みもすそ103

【神宮摂末社の歴史 その21 ~贄海としての二見<前編>~】

「前号においては、皇大神宮末社荒前神社(あらさきじんじゃ)について解説し、現在は二見の神前神社(こうざきじんじゃ)に御同座されていることを紹介しました。

今号よりしばらくは二見に着眼したいと思います。数回に亘って二見地区の摂社・末社の歴史について考察をめぐらす所存ですが、まず二見とはどのような土地であるかからお話し致します。

現在、伊勢の二見は観光の名所として広く知られています。文治2年(1186)に僧慶俊が筆録した『東大寺衆徒参詣伊勢大神宮記』によれば、同年4月28日に法楽奉納による両宮参宮のため伊勢に訪れた衆徒60名のうち数人が、船に乗って二見浦を歴覧し、和歌を詠んだ記録がありますので、中世以前から既に名勝の地であったと考えられます。

この二見ですが、古くから両宮の神事に欠かせない土地でした。五十鈴川河口の塩合(現在の汐合よりもさらに河口。勢田川と合流した五十鈴川が伊勢湾にそそぐ地点)をはさんで大湊と相対峙する高城浜(今一色より北の浜)は、外宮権禰宜河崎延貞が元禄13年(1700)に纏めた『神境紀談』によれば、9月13日に外宮長官の浜出の式があるので長官浜とも称したことがわかります。また「蘇民将来子孫家門」で有名な松下社の近辺にある神前浜(こうざきはま=鳥羽との境界で、池の浦の近く)について、建久3年(1192)に井面忠仲(いのもただなか)が著した『皇太神宮年中行事』には、内宮の贄場であったことが記されています。贄とは神聖な魚介のことをさします。つまり神前浜は、6月・12月月次祭や神嘗祭(かんなめさい)の由貴大御饌(ゆきのおおみけ)に供える神饌を補宜が採取する大切な漁場でありました。」

 


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