投稿日:2020年2月27日(木)
春風強く肌寒い日が続き、リビングに出した炬燵は未だ元気に活躍しています…。先日薬局にいった際、丁度入荷したらしいマスクが10分と経たずに売り切れたのを見て驚きました。コロナウイルス、インフルエンザ対策を忘れずに…権禰宜の佐藤です。
さて、神社界唯一の業界紙である『神社新報』令和2年1月27日号掲載のコラム「こもれび」を御紹介致します。
【こもれび~神社の建物?寺院の建物?~】
「正月の初詣でちらほら耳にするのが、神社と寺院はどこが違ふのかといふ話題です。そこで今回は、建物としての神社と寺院の違ひについて紹介します。
建物を必要としなかった神社に本殿が登場した創始期の七世紀頃、神社本殿と寺院本堂は、柱を円柱とすること、木造の基本である梁と桁、そして屋根を支へる斜め材の垂木で建物を構成することを除き、そのほかの要素はことごとく異なってゐました。
まづは柱です。本殿の柱は着色しない白木で、地面に穴を掘って埋めた掘立柱でした。一方の本堂の柱は彩色が施され、地面に礎石を据ゑて柱を立てる礎石建てでした。
本殿の床は、原則、地面より高く張った高床式で、本堂は土間式でした。壁は、板を柱間に落とし込んだ横板壁で、板羽目とも呼ばれます。一方の寺院は土壁です。
扉は、神社では外開きとしてをり、寺院は内開きでした。
本殿の屋根は、当時の日本の最高格式の切妻造とし、茅葺(かやぶき)、檜皮葺(ひわだぶき)、薄板を重ね葺いた柿葺(こけらぶき)と、植物系の屋根材を葺いてゐました。一方の寺院は中国の格式に倣ひ、入母屋造(いりもやづくり)または寄棟造とし、瓦葺でした。
また、建物の特徴的な意匠、高貴の象徴として、本殿には屋根の上に千木(ちぎ)と堅魚木(かつおぎ)が掲げられ、寺院には柱の上に部材を組み上げた組物が載ってゐます。
寺院には石積みなどの基壇が築かれましたが、神社には築かれませんでした。
かうしてみると、建物のさまざまな要素で軒並み違ひがあることがわかります。ここまで違ひがあると、外来の寺院建築に対して、日本古来の信仰であることを示すために、敢へて形を違へたと言へます。
奈良時代以降、神社建築と寺院建築は歩み寄り、お互ひに長所を取りこんで少しづつ変化します。
神社本殿は、礎石建て・組物・彩色などの要素を取りこんでいき、建物は洗練されました。一方の寺院建築は、高床式・板壁・扉の外開き・檜皮葺など、本殿にも使はれる日本古来の建築の要素を取り入れて、日本化していきました。
しかし、すべての要素が混じり合ひ、区別が付かなくなったわけではありません。とくに高床式は、日本古来の建築の基本要素として守り続けられ、和歌山県の日前神宮・國懸神宮など、当初からの特殊な事例を除き、本殿に土間式を受け入れることはありませんでした。
また、本殿の屋根形式も以前紹介したとほり、切妻造の特徴を引いた三角の妻壁がある入母屋造までで、寄棟造や方形造は寺院建築にしか使はれません。
かうして一定の違ひを守りつつ、複雑な組物や彫刻、彩色を施した絢爛豪華な栃木県の日光東照宮本殿(江戸初期)や、流造の本殿から拝殿にかけて入母屋造や軒唐破風(のきからはふ)を幾重にも重ねた独創的な福井県の大瀧神社社殿(江戸後期)など、個性豊かな本殿が生み出されてきたのでした。」