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【神社新報コラム】杜に想ふ~その理由~ と 境内の梅

投稿日:2022年3月3日(木)


【暦で見る九星の運勢シリーズ】九紫火星:令和4年3月(各自の九星についてはブログ末尾の表をご参照ください)「吉方…東・北東 好調な運気に恵まれて、諸事良くまとまり気持ちの良い月となりそうです。仕事運・経済運いづれも良好となりますが、余り求め過ぎないように。舞い上がると流れが変わる」とのことです…権禰宜の遠藤です。

さて、神社界唯一の業界紙であります、『神社新報』令和3年11月28日号掲載のコラム「杜に想ふ~その理由~」をご紹介致します。

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杜に想ふ

【杜に想ふ~その理由~】

「某テレビ局のニュース番組で、鹿児島県下の「田の神」まつりをとりあげてゐた。そこに、小学生の子供たちを招いて接待したといふニュースであった。タノカンサーといふ田の神は、ほぼ旧薩摩藩内(鹿児島県と宮崎県南部)に濃密に分布をみる。田圃の畦や集落の辻に石像が立つ。にこやかな表情と丸っこい体型。手に飯杓子や椀を持つ姿もある。秋の収穫が終はると、集落ごとにまつりがある。田の神像の前に供へものをするところもあるし、田の神像を集会場に運び込んで祀るところもある。もう四十年以上も前のことになるが、私の見たまつりは、そこに木彫りの男根像を合はせて祀るものであった。

そこは、焼酎文化圏でもある。男たちだけでなく女たちも陽気で、宴席が延々と続いてゐた。そこに、子供たちは加はってゐなかった。テレビのニュースでも、子供たちを初めて招いた、といってゐた。

田圃に竈をしつらへ、そこで糯米を蒸し、子供たちも参加して餅を搗いてゐた。その催しものに取り組んだ男性の一人が「これで田の神まつりを次に伝へることができる」、と嬉しさうに語ってみたのが印象的であった。伝統的な行事を次世代にどう繋いでいくか、これは大事なことである。

信州から関東一円にかけて分布をみる「道祖神」まつりについては、最近、神奈川県北の集落で話を聞いた。集落の出入り口や道が分かれる辻に石像が祀ってある。その石像には単体のものもあれば、双体のものもある。双体のもののなかには、男女が睦み合ったものもある。それは、外界から悪霊や悪鬼が忍び込んで横行するのを追ひ払って塞ぐ役目を担ってのこと。「塞の神」の一種とみてよからう。

そこに男根像や陰陽像などの呪物を奉納したのは、人びとが子孫繁栄を願ったからであることはいふをまたない。が、それと同時に疫病を恐れ、なかでも性病を恐れたからだ。ちなみに、幕末に来日したポンペ(オランダ海軍医)やヘボン(医師でヘボン式ローマ字の創設者)などは、梅毒が蔓延する日本に驚き、警告を発してゐるのである(それによって、検梅制度ができた)。

道祖神のまつりは、小正月(1月15日)におこなはれてきた。ところによってさまざまだが、道祖神の前でトンド(ドンドとも)を焚く例が多かった。そこには、子供たちもこぞって参加してゐた。

それが、このごろ、子供たちの参加を見送るところがでてきてゐる、といふ。とくに、道祖神やそこでの奉納物が卑猥だからといふのがその理由、といふのだ。

信仰やその対象物には、しかるべき理由がある。時代とともに変はることはいたしかたないが、それを偏見なく伝へるには、さて、どうすればよいのであらうか……。

(民俗学者、岡山・宇佐八幡神社宮司)」

【3月3日撮影:境内の梅】

▽社務所玄関前の白梅

境内の梅

▽境内奥の白梅。こちらの3本は日当たりがあまり良くないせいか、まだ蕾です。

境内の梅

境内の梅

▽境内奥の紅梅。満開ですね!

境内の梅

▽社務所前の白梅。こちらもかなり咲き進んでいます。

境内の梅

境内梅

▽手水舎裏の白梅

境内の梅


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