投稿日:2020年5月7日(木)
【暦で見る九星の運勢シリーズ】七赤金星:5月(各自の九星についてはブログ末尾の表をご参照ください)「吉方…南西・北・北東 運気好調。吉事重なり気持ちよくなりますが、気を引き締めて慎重に歩んで。フラフラすると流れが変わるから気を付けて。かなり経済的に余裕がもてますが無駄遣いしないように」とのことです…権禰宜の遠藤です。
さて、神社界唯一の業界紙である『神社新報』令和2年1月27日号掲載のコラム「杜に想ふ」を御紹介致します。
【杜に想ふ~豊穣を祈る~】
「郷里の神社では、正月にトビシバを用意する。トビシバとは、富柴が訛ったもの。榊の小枝に洗米を数粒包んだ小さな紙袋を水引で結はへたものである。
これを参拝した氏子が一体づつ持ち帰るのだ。かつては、それを水田の水口のあたりに立ててゐた。稲作の豊穣を願っての縁起物であることは、いふをまたない。私のところだけでなく、近辺の神社でもそれが伝はる。
そのトビシバが、近年、かなり残ることになった。年配の人たちは、旧来どほりに持ち帰る。が、若い人たちは、それを手にすることが少ない。トビシバの意味と「神棚に祀るもよし」、と書いた紙を脇の板壁に貼っておいても、さほどの効果がない。
これは、どうしたととだらうか。若い人のみならず、あへて日本人といはう。私たち日本人が稲作に、その豊穣に無関心になってゐるのではあるまいか、と思はざるをえないところがある。
「五穀豊穣」といふ言葉は、多くの人が知ってゐる。しかし、それを祈願する気もちが薄らいでゐるのではあるまいか。経済の高度成長期以降、飽食の時代が久しく続いてゐる。食べものは、労せずして手に入る。そのところで、食料の生産に対しての敬虔さが後退したのだ。
五穀のなかでは、近世のあたりから米が最重視されてきた。
たとへば、田植前の予祝行事が大事とされた。田植前は忙しいから、として予祝行事を小正月におとなふところも少なくなかった。そのうち、大田植とか花田植とかの田遊びは、無形文化財として伝へられてもゐる。しかし、全国的にもっとも一般的であった早苗三束を水口に田の神降しとして祀る行事は、姿を消してしまった。田植機の普及とともにすっかり姿を消してしまった。
稲作を天候に委ねる、といふよりも、機械や金肥(化学肥料)による効率に託すやうになったのだ。農業者がさうであるから、一般の消費者はまったくといふほどに無関心と相なった。それを批判するのではない。時流とは、さういふものであらう。しかし、この列島孤に安定した食料生産を築いた先人たちの労苦を忘れてはならないのだ。とくに、稲作でいふならば、日本列島は、韓半島南部と共に北限に相当する。そこで、飢饉をくりかへしながらも天候に準じた営農を築くには、どれほどの労苦があったか。たとへば、注連縄にも代表される藁細工をこれほど発達させたのも、品種改良をくりかへしてきたその結果であった。それは、日本ならではの文化、といっても過言ではあるまい。私ども神職は、諸行事のたびにかうした歴史と文化を語り継ぐ役目をも担ってゐる。そのことを、あらためて実感した今年の年頭であった。」
【今日のフジ】
▽義経藤 ピークを過ぎた頃でしょうか。一昨日くらいから花が散り始めています。
▽弁慶藤 こちらは花の季節は終わり、身を付け始めています。今度はこれを取り除く作業が始まります。(栄養が実に行ってしまい、翌年の花の状態が悪くなるそうです)
▽厄年表