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【神社新報コラム】神宮だより~『日本長暦』

投稿日:2018年4月15日(日)


風が強いですね。参拝を予定されている方は、無理をせずに天気が落ち着いてからご来社下さい。権禰宜の新久田です。

さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』平成30年2月5日号コラム「神宮だより」を御紹介致します。

神宮だより

「【神宮だより~『日本長暦』】

数年前に映画化された『天地明察』を御存じであらうか。主人公である渋川春海の生涯を描いた作品であるが、神宮文庫には春海所縁の書物を所蔵してあるので紹介したいと思ふ。

渋川春海は、江戸時代中期の天文・暦学者で、寛永十六年(一六三九)幕府碁所安井算哲の長子として京都に生まれる。十三歳で家督を継承(のちに保井、渋川と改姓)し、江戸で碁所を勤める傍ら、京で天文・暦学を岡野井玄貞・松田順承らに、神道を山崎闇斎について学んだ。天和三年(一六八三)六月、四十四歳の時に初めて伊勢参宮をおこなったが、この時、内宮十禰宜中川経晃と知り合ひ親交を深めた。その後も春海はたびたび来勢し、経晃から神道を学んだといふ。この縁から貞享二年(一六八五)内宮に『日本長暦』上下二巻の自筆本を奉納。掲出本(第九門一五五号)はこの時のものである。

『日本長暦』は、『日本書紀』に干支がはじめて記された神武天皇即位前紀七年(紀元前六六七年)から貞享二年に至るまで約二千三百五十年間に亙って、すべての月朔干支・月の大小などを算出一覧した書物である。延五年(一六七七)成立。のち増補。長期間に亙る暦日の復原は、本書が最初であり、これにより往古の重要な祭祀の日にちを知り得ることができるやうになり、朝廷や神社から歓迎され、春海の名前が世に広まった。その推算は正確で月朔干支の誤算は十カ所に満たなかったといふ。昭和五十年、電子計算機を用みた『日本暦日原典』が刊行されるまでは長暦の基本書であった。

春海の最も大きな功績は、中国で生み出された暦の算出法を計算し直し、日本独自の暦法を考案したことである。春海は、朝廷に改暦を三度奏上し、貞享元年(一六八四)十月に採用され改暦の宣下となり「貞享暦」の名を賜はって改暦がおこなはれた。その後春海は幕府初代天文方に任命され、編暦の実権は幕府に移ることになった。のちに多くの門弟を抱へ、厚遇を得た。また、『天文瓊統』『三暦考』などの著書を残し、正徳五年(一七一五)七十七歳で歿した。

『日本長暦』は、近世の科学黎明期における先駆者春海の研究成果を示す貴重な資料として国の重要文化財に指に定されてゐる。」

 


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