投稿日:2022年4月13日(水)
【暦で見る九星の運勢シリーズ】四緑木星:令和4年5月(各自の九星についてはブログ末尾の表をご参照ください)「吉方…西 いろいろな問題が発生しやすく、どちらかと言えば、運休状態になりますが感情的にならない様に。今は前進する事よりも、時間をかけても、問題の解決を優先する事。粘り強く」とのことです…権禰宜の遠藤です。
<今日のフジ>
▽義経藤
▽弁慶藤
さて、神社界唯一の業界紙であります、『神社新報』令和4年1月31日号掲載のコラム「神宮だより~パウル・ティリッヒ博士の参宮~」をご紹介致します。
【神宮だより~パウル・ティリッヒ博士の参宮~】
「パウル・ティリッヒ博士は明治19年(1886)にドイツ・ベルリン近郊に牧師の子として生まれました。大学で神学、哲学を修められ、後にユニオン神学校やハーバード大学の教授を務めました。とくにキリスト教における組織神学の分野では世界的権威者として知られてゐます。
ティリッヒ博士は晩年の昭和35年(1960)に初めて来日され、全国各地にて講演をおこなふなかで伊勢の神宮へお参りされてゐます。当時の『瑞垣』第四十九号に拠ると「パウル・ティリッヒ博士夫妻は六月四日京都大学、武内義範教授の案内にて、神宮に参拝、前夜来の細雨の中を、幡掛禰宜、萩原権禰宜に附添われて、両宮に参拝した」とあります。この際に御神楽も奉納されてをり、同書には「夫妻の態度は敬虔そのもので、深い学殖と、宗教的信念につらぬかれた魂の持主といった感をふかくした」と記されてゐました。
ティリッヒ博士は後に式年遷宮についても「現実に建っている建物とならんで、以前建っていた神社が存在し、またこれから建つであろう神社が存在する空所が存するわけです。このことの背後に潜んでいる。公式の考えかたは、聖なるものはほころびることがないということであります」と述べてゐます。
この訪日後に東洋の宗教と文化に大きな関心を持たれたやうであり、晩年の研究にも影響を与へてゐます。改めて日本の文化が持つ魅力を再認識するだけではなく、どのやうな時代を経ても変はらない神宮の姿を伝へられるやう日々努めてまゐりたく存じます。(総務部・一戸椋太)」