投稿日:2020年3月10日(火)
【暦で見る九星の運勢シリーズ】一白水星:4月(各自の九星についてはブログ末尾の表をご参照ください)「吉方…なし 目上や先輩におおいに信用を得て、気持ちよく活動できますが、同僚には嫉視されることが多々あるので気配りを忘れずに。たまには花見見物などで親睦を深めることも大切です。」とのことです…権禰宜の遠藤です。
さて、神社界唯一の業界紙である『神社新報』令和元年9月30日号掲載のコラム「神宮だより」を御紹介致します。
【神宮だより~太田小三郎君紀功碑~】
「神宮では第62回神宮式年遷宮斎行後、摂社・末社・所管社につきましても御造替または御修繕が執りおこなはれてをります。
内宮域内に鎮座する所管社の大山祇神社と子安神社は、御修繕につき7月より仮殿へお遷りいただいてをりましたが、去る9月11日には麗しく本殿への御還座を終へました。内宮では、連日多くの参拝者をお迎へしてをりますが、近年この大山祇神社と子安神社にも足を運ぶ方々が増えてゐます。
さて、大山祇神社は大山祇命を祭神とし、「山神社」とも称されてゐました。創立年代は定かではありませんが、建久3年(1192)『皇太神宮年中行事』に記載があることから、由緒の久しいことが窺ひ知れます。社地は古代神路山の山口にあたり、神宮御造替に際して御用材を採る山口祭を当社において斎行してゐたとされますが、後世御杣山の移動とともに山口祭場が変はり、現在ではその関係が絶たれてをります。
因みに外宮においても別宮・土宮付近の山口祭場に古来大山祇神社があり、内宮と同一の関係を有してゐましたが、明治5年教部省達により県社箕曲中松原神社に移転し、両宮とも御杣山の山口の神としての本義が不明になってしまったことは残念に思へます。
子安神社は大山祇神社の西方にあり、大山祇命の御子である木華開耶姫命を祭神とし、大山祇神社に因んで隣に奉祀されたと考へられます。こちらも創立年代は定かではなく、もとは神人の私営でしたが、近世に神宮の管轄に属しました。御祭神が猛火の中で三柱の御子を産み、御身も恙なかった威霊を仰ぎ、参拝者からは安産の神として崇敬を集めてをります。
なほ、大山祇神社・子安神社とも明治5年に一度地方庁の所轄に移りましたが、同32年氏子等の請願により、神宮の所管に復して今日に至ってをります。
(総務部・内山陽)」