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【神社新報コラム】神宮だより~度会常昌神主と霊社飛社~

投稿日:2020年9月23日(水)


【暦で見る九星の運勢シリーズ】五黄土星:10月(各自の九星についてはブログ末尾の表をご参照ください)「吉方…南西 行き違い、食い違いが多くなり、気ばかり焦りますが落ち着いて。焦っても良い事はないから、どっしり構えて。前に前に進みたい気持ちはわかりますが、今は現状維持が良策」とのことです…権禰宜の遠藤です。

さて、神社界唯一の業界紙である『神社新報』令和2年9月7日号掲載のコラム「神宮だより~度会常昌神主と霊社飛社~」を御紹介致します。

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神宮だより

度会(檜垣)常昌(わたらいつねよし)神主は弘長3年(1263)外宮一禰宜貞尚(さだなお)の次子として生まれ、正和3年(1314)一禰宜に昇任し、爾来24年の永きに反り長官として神明に奉仕しました。伊勢神道に造詣深く、夙に正直と清浄の実践を説いてその弘布に努めるとともに、敷島の道にも通じ、勅撰和歌集にもたびたびその歌が撰ばれてゐます。

また、勤皇の志篤く、建武の中興にあたり後醍醐天皇の勅命を受け討幕の御祈禱を修し、その功により元徳2年(1330)神宮祠官として初めて従三位に叙せられました。延元4年(1339)7月27日、77歳で薨じましたが、伝承によると常昌神主は外宮第一別宮多賀宮の参道である下部坂で昇天し、その際に冠の縷(えい)が近くの丘へ飛び落ちたといひます。以来この地を「飛社」と称し、石畳を設け常昌神主の霊をお祀りしてをります。

かつて飛社には小祠が設けられ檜垣家が祭祀をおこなってゐましたが、江戸中期にはすでに荒廃してゐたやうです。昭和9年、建武中興六百年を契機として常昌神主をはじめとする勤皇祠官を顕彰する気運が高まり「神宮祠官勤王顕彰会」が設立され、飛社の霊域を整備するとともに、昭和13年には記念碑が立てられました。

しかし、先の大戦中に神宮奉護のための軍用地となり、さらに戦後は隣接する県立高校の施設拡張整備のため二度に亙り鎮座地の移転を余儀なくされ、昭和40年5月に漸く現在の地にお鎮まりになりました。

この間、昭和30年5月には常昌神主の遺徳を敬仰する「飛社奉祀会」が結成され、霊域を奉護するとともに、毎年命日を陽暦に換算した9月9日に近い日を選んで、関係者参列のもと例祭が奉仕されてゐます。

厄年表R2


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
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