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【神社新報コラム】神宮だより~正月元日神馬牽参~

投稿日:2020年3月16日(月)


【暦で見る九星の運勢シリーズ】四緑木星:4月(各自の九星についてはブログ末尾の表をご参照ください)「吉方…なし 活動的になりかなり上昇運となりますが、あまり進み過ぎないように。ついうかれてフラフラすると痛い目にあう。甘い話が多くなりそうなので、軽々しく乗らないように気を付けて」とのことです…権禰宜の遠藤です。

さて、神社界唯一の業界紙である『神社新報』令和2年1月1日号掲載のコラム「神宮だより」を御紹介致します。

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じんぐうだより

【神宮だより~正月元日神馬牽参~】

「現在、内宮には国春号(くにはるごう=鹿毛)と草新号(くさしんごう=鹿毛)、外宮には笑智号(えみともごう=芦毛)、草音号(くさおとごう=芦毛)の2疋づつの神馬が飼養されてゐる。毎月1日、11日、21日の晴れた朝には両宮(内宮は石階下・外宮は板垣南御門前まで)において、菊花紋章を付けた馬衣を纏ひ、権禰宜または宮掌に率ゐられた神馬が牽参。参拝者に見守られながら参道を進んでゐる。当然正月元日も例外ではなく、殷賑を極める両宮の参道を神馬が牽き入れられる。
御馬牽進の歴史は古く、初見は『続日本紀』宝亀元年(770)8月の条にみえ、延暦23年(804)撰述の『皇太神宮儀式帳』にも御馬飼内人(みうまかひのうちんど)が御厩で飼養した記事を確認できる。延長5年(927)成立の『延喜大神宮式』によると、毎年両宮に各5疋づつの幣馬が奉られ、そのうち各2疋を選んで櫪飼(いたがひ)の御馬として両宮において飼養し、その他は神牧に放し飼ひされてゐた。かつて9月17日に斎行された皇大神宮神嘗祭奉幣の儀においては、朝廷の左右馬寮からそれぞれ奉献された2疋の幣馬が、同宮中重の南、内玉垣御門(玉串御門)前東南の少しく離れた位置に牽き立てられてゐたやうである。
御馬の奉献は、鎌倉時代末頃より久しく中絶したが、江戸時代に至り正保4年(1647)徳川氏が内宮に御馬一疋を牽進し、これを内御厩に飼養し、次いで延宝5年(1677)姫路城主松平氏が、貞享2年(1685)名古屋城主徳川氏より献上があった。また承応(1652~1655)前後より田丸城主久野氏が退落(たいらく)ごとに御馬を牽進することとなり、1疋は内御厩、1疋は外御厩において飼養した。
禰宜や正権禰宜等主だった職掌人が関与しなかったためか、鎌倉時代初期の『皇太神宮年中行事』、江戸時代中期の『元文年中行事』等恒例の年中神事を記した古文献のいづれにも歳神馬牽参についての記載はみられないので、旧式恒例神事の一環であったのか不明であるが、横地長重が描いたとされる『維新以前皇太神宮祭典祭具図』には「歳旦神馬参拝」の様子が描かれてをり、少なくとも江戸後期には正月元日に御馬飼内人奉仕による神馬牽参がおこなはれてゐたと推測できる。(広報室・音羽悟)」

厄年表R2


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
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