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【神社新報コラム】神宮だより~神宮徴古館農業館所蔵 慶光院文書について~ と 梅の開花状況

投稿日:2022年2月24日(木)


【暦で見る九星の運勢シリーズ】六白金星:令和4年3月(各自の九星についてはブログ末尾の表をご参照ください)「吉方…東 物事の動きが鈍く山積み状態になりやすいから気を付けて。一気に片付けたい気持ちは分かりますが時間がかかっても着実に。焦ってカッカカッカすると、出来る事も出来なくなる。」とのことです…権禰宜の遠藤です。

さて、神社界唯一の業界紙である『神社新報』令和3年11月22日号掲載のコラム「神宮だより~神宮徴古館農業館所蔵 慶光院文書について~」をご紹介致します。

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神宮だより

【神宮だより~神宮徴古館農業館所蔵 慶光院文書について~】

「去る令和3年11月3日、旧慶光院客殿の公開をおこなひ、多くの方に御観覧いただいた。

そこで、改めて慶光院と、神宮徴古館所蔵の慶光院文書について御紹介する。

慶光院は江戸時代に宇治浦田町にあった臨済宗の尼寺。仏像・仏具もなく、読経もおこなはない一般とは異なった寺院であった。戦国時代、慶光院初代院主の守悦と三代院主の清順は、諸国を勧進し、神宮の式年遷宮の復興のために尽力。この功績により、慶光院の代々の住持は、近世を通し、上人号と紫衣を賜った。江戸時代になると、幕府から寺領として三百石を与へられた。明治維新には廃寺を余儀なくされ、慶光院家は還俗。宮橋姓を名乗ることとなった。その後、明治35年には再び慶光院姓に復した。代々の住持が受け継いだ慶光院文書は、文明年間(1469~1487)から幕末までの文書を収めてゐる。当館に納められたのは昭和29年3月のこと。当館には『慶光院文書目録』三冊があり、592点の文書が収められてゐる。この『慶光院文書目録』は、奥書に「宇治山田市中之切町於慶光院邸尚蔵文書歴覧畢、于時昭和十四年季夏、嘱託大西源一」と記され、大西源一氏によって昭和14年に作成された。

しかし、昭和45年の小島鉦作氏の調査によると、総点数は約1600点に上るとされ、『慶光院文書目録』に収められてゐる史料は一部である。『慶光院文書目録』の主な文書は昭和46年刊行の『神宮徴古館製品総目録』に記され、200点は『三重県史』に翻刻・掲載されてゐる。

慶光院文書には豊臣秀吉や徳川家康といった時の権力者から出された書状を収め、史料的価値は高い。当館では慶光院文書の一つ「徳川家康朱印状」の複製(写真)を常設展示してある。内容は慶長8年9月9日付で「伊勢りやうくうしやうせんくうの事、先例にまかせとりおこなふべき者也」と五代周清上人に先例の通り、遷宮の斎行を認めたもの。当館にお越しの際には、ぜひ御覧いただきたい。

(文化部・山田恭大)」

【梅の開花状況】

▽境内奥の紅梅。日陰なので分かりにくいですが、8分咲き程度まで進んでいます。手前の樹も梅なのですが、こちらは殆ど咲いていません。

紅梅

▽社務所玄関前の白梅。結構進んできました。

白梅

▽社務所前の白梅。つぼみが大分綻んできました。わずかですが、開花した花もあります。

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▽手水舎前の白梅。こちらも開花が進んできました。青空によく映えますね。

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まだまだ風が冷たいですが、日差しには春の兆しを感じることが出来るようになりました。

晴れた日はお散歩かたがたお参りされては如何でしょうか。

R4厄年表


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