投稿日:2019年12月5日(木)
【暦で見る九星の運勢シリーズ】八白土星:12月(各自の九星についてはブログ末尾の表をご参照ください)「吉方…北西 慌ただしさはありますが、期待の持てる年の瀬となりそうなので、大いに励んで乗り切って。但し時間が無いからと言って、自分自身を追い詰めないこと。余裕の二文字を忘れずに。」とのことです…権禰宜の遠藤です。
さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』令和元年10月14日号掲載のコラム「神宮だより」をご紹介致します。
【神宮だより~神宮皇學館校地の変遷~】
「内宮のほど近く、五十鈴川沿ひの頒布部第二奉製所構内の一角に「神宮皇學舘舊趾」と書かれた小さな石碑があります。明治15年(1882)、神宮祭主・久邇宮朝彦親王の令達により、現在国の史跡に指定されてゐる旧林崎文庫内に創設された神宮皇學館ですが、実はその後三度の移転を経て今に至ってゐます。
明治20年(1887)10月、まづ現在の神宮道場の地へ、そして明治29年(1896)12月には五十鈴川を隔てた現在の頒布部第二奉製所の地に移転しました。ここは神路・島路の山並みを望み、五十鈴川の瀬音聞こえる勉学に相応しい地ではありましたが、川に近いため高湿で水害の虞(おそれ)もあり、またさまざまな問題も生じ、必ずしも学舎に適した地ではありませんでした。
そこで、大正4年(1915)に至り、当時の館長・武田千代三郎は校舎の移転を計画。新校地を神宮徴古館にほど近い風光明媚な倉田山の丘陵地と定め、翌5年に内務省の認可を得て、工事に着手しました。
大正7年(1918)1月に一部機能が倉田山に移転し、翌8年9月、すべての施設が竣功。10月18日には「神宮皇學館改築落成式」が盛大に挙行されました。
折りから神嘗察御奉仕のため御参向中の神宮祭主・久邇宮多嘉王も台臨あらせられ「今ヤ校舎改築ノ工事成リ、規模益々広ク施設愈々全カラムトス。本館ノ職員及学生タルモノ、現代ノ趨勢ト教育ノ旨趣トニ鑑ミ、至誠以テ学事ニ勉励シ、更ニ国家ノ文運ニ貢献センコトヲ期セヨ」との令旨を賜りました。
今年は皇學館が倉田山に全面移転してより、ちゃうど100年の節目の年を迎へます。」