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【神社新報記事】刀剣は語る その弐拾 ~曽我兄弟の微塵丸~

投稿日:2022年5月25日(水)


【月の異称シリーズ】五月…「梅色月(うめのいろづき」。新緑の色と梅の実の色が重なるようですね…権禰宜の遠藤です。

さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』令和4年2月28日号掲載のコラム「刀剣は語る その弐拾 ~曽我兄弟の微塵丸~」をご紹介致します。

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刀剣は語る

 

【刀剣は語る その弐拾~曽我兄弟の微塵丸~】

「人が好むものに、勇者があります。ひたむきに走る駅伝走者、そして刀にまつはる物語にも。

「新緑の美しい頃、「薄緑丸」を目当てに箱根の山を訪ねると、箱根神社の宝物殿には、「薄緑丸」と、それより一回り長い太刀が展示されてゐました。聞けば「微塵丸」といひます。源氏累代の宝刀、「薄緑丸」と「微塵丸」。この二振りが並んでゐることに驚きました。といふのも両刀は曽我兄弟の仇討ちに使はれた刀だからです。

日本三大仇討ちの一つに数へられる曽我兄弟の仇討ちは、鎌倉時代初めに起こった、兄の十郎祐成と弟の五郎時致が父の敵を討つといふもの。建久4年(1193)、源頼朝が催した富士山麓の巻狩りで二人は宿願を果たしました。

社伝では、仇討ちを前にした二人が箱根権現の行實別当を訪ねた際、二人の様子からことを察した行實別当が兄の十郎に微塵丸を、弟の五郎に薄緑丸を与へたとされてゐます。微塵丸は木曽義仲から箱根権現に奉納され、曽我兄弟の仇討ちの後、源頼朝が箱根権現に還納するといふなんとも数奇な運命をたどったのです。備前長円の作と伝はる刀身には、刃こぼれや傷が見られ、生々しく感じました。

仇討ちを描いた浮世絵には、降りしきる雨の中、十郎と五郎が太刀でもって、鎧武者たちをなぎ倒す様子が描かれてゐます。そこから伝はってくるのは父の悔しさを晴らし、家の名誉を守る二人の勇ましい意気。当時、頼朝の寵臣である工藤祐経が討たれたため、鎌倉幕府が震撼したといはれるこの仇討ちは、「曽我物」として後世に伝へられました。

江戸時代、江戸っ子たちの心を捉へたのが、歌舞伎十八番の一つ、『助六』です。主人公、助六は転生した曽我五郎の仮の姿で、源氏の重宝「友切丸」の行方を捜し出すため、遊廓の吉原に出入りします。人気役者、市川團十郎のお家芸となりました。「この助六の名に由来するのが助六寿司。なんでも助六の愛人、吉原の花魁の「揚巻」の「揚」を油揚げのいなり寿司に、「巻」は海苔で巻いた巻き寿司になぞらへ、この二つの寿司を詰め合はせたものを助六寿司とした説です。今もなじみのある寿司の名が、曽我兄弟にちなんでゐたのです。

「江戸の人たちは、曽我兄弟を偲び、この箱根にも来てゐたやうです」と柘植英満禰宜が教へてくれました。

箱根の山には曽我兄弟の墓も伝はります。湯治と、人々の心を捉へた勇者の物語。どんな困難にもひるむことなく、ひたすらに挑む姿は時代を超えて伝はってきます。

 

箱根神社

祭神=箱根大神(瓊瓊杵尊・木花咲耶姫命・彦火火出見尊)

鎮座地=神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-15

0460-83-7123

宝物殿拝観時間=午前9時~午後4時30分

(入館は4時まで)」


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
ぜひ早起きした朝やお休みの日にでも、お気軽に当社にお越しください。皆様のご参拝を心よりお待ちしております。