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【神社新報記事】刀剣は語る その23~北条の相州物三振~

投稿日:2022年8月27日(土)


今日8月27日は『男はつらいよ』の日。昭和44年(1969)年のこの日、山田洋次監督・渥美清主演の映画『男はつらいよ』シリーズの第1作が公開されました。「フーテンの寅」が最初に登場したのはテレビドラマで、この時は最終回で寅さんは死亡したということです(!)。しかし、あまりの反響の大きさのため映画で復活し、以来48作にも及ぶ世界最長の長編シリーズとなりました。ドラマでの寅さんが最終回で亡くなっていたとは驚きです…権禰宜の遠藤です。

さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』令和4年5月30日号掲載の特集記事「刀剣は語る その23~北条の相州物三振~」をご紹介致します。

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【刀剣は語る その23~北条の相州物三振~】

「源頼朝が鎌倉に幕府を開いてからおよそ340年後、鶴岡八幡宮に奉献された三振りの太刀があります。戦国武将・北条氏綱が、お抱への刀工である綱広・綱家・康国の三人に命じて打たせた太刀です。三振りとも、長さ1メートル前後の長寸で、身幅が広く、剛健な太刀です。大きな切っ先はいかにも切れ味重視で、戦国といふ時代を映してゐるやうです。

この奉納刀には、長銘が切られてゐます。表には、「奉納八幡宮御宝殿」「北條左京太夫平氏綱」と、八幡宮に氏綱が奉納したととが。裏には、「天文七戊戌年八月二日」「所願成就皆令満足」と、1538年といふ奉納年月日、どんな願ひかが記され、その下に「相州住綱廣作」とそれぞれの作者名が切られてゐるのです。この長銘から、奉納者、奉納時期がはっきりとわかります。

この奉納者の氏綱は、戦国大名のさきがけとなった北条早雲の長子です。早雲は、伊勢宗瑞といひ、鎌倉公方の力が弱まり、関東地方に混乱が起こると、すばやく京から下り相模に進出。小田原を根拠としました。その子の氏綱は、伊勢から北条に改名し、執権北条氏の名跡を継ぎ相模太守としての地位を確立しようとします。天文元年(1532)から鶴岡八幡宮の造営を進め、駿河の今川義元、房総の里見氏との戦ひに勝利。同七年にこの三振りを奉納します。そして同九年、八年がかりの造営を終へ、遷宮を迎へるのです。頼朝以来、執権北条氏、足利公方氏を経て、戦国大名の後北条氏も鶴岡八幡宮へ太刀を奉納し、造営をおこなふなど篤い崇敬の念を内外に示してゐたのでした。

鎌倉には、幕府が開かれて以来、各地より名だたる刀工が招聘され、作刀地として栄えました。誰もが知る名工・正宗の名とともに板目肌に沸の強い美しい刃文が特徴の作風が完成。相州物、または相州伝と呼ばれました。

この三振りは、室町時代末期の「末相州」と呼ばれるもので、この時期は鎌倉よりも北条氏の城下町である小田原に刀工が集まってゐたといひます。その特徴は、刀身のほとんどに刃文の飛焼などで埋め尽くした「皆焼刃」といふ作風で、なんとも華やかな仕上がりです。正宗の沸の激しさを強調し、一面に焼きを凝らすなど、正宗を凌ぐものを作りたいといふ創意工夫から生じたものではないかとも考へられてゐます。

戦国の世の始まりに、国盗り合戦に挑む武将の決意が滲みます。」


白旗神社ホームページへようこそ。当社は古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と歴史上のヒーロー・源義経公をお祀りしています。寒川比古命は厄除け・方位除けの神様として知られます。また武芸、芸能、学問に優れ、才気あふれる源義経公は、学業成就、社運隆昌などのご神徳があります。境内には、悠久の歴史を感じる史跡が多く、四季を感じられる緑豊かな自然もあります。
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