投稿日:2022年5月16日(月)
境内の梅の木になった実を収穫したいのですが、あいにく雨の日が続いております。落ちずに残っていてくれますように…権禰宜の遠藤です。
さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』令和4年3月14日号掲載のコラム「杜に想ふ~世界情勢の中で~」をご紹介致します。
【杜に想ふ~世界情勢の中で~】
「命との向き合ひ方を今一度考へさせられる日々が続いてゐる。コロナ禍中、ウイルスに感染して弱った命を昼夜を徹して守らうとする医療従事者の方々がある一方で、ロシアがウクライナに侵攻し、モスクワ共同によると双方の死者は三千人を超えるといふ。
いつも想ふ……。そこに在る草花はそんな人間を見て何を想ふだらうか。
攻撃を受けて、破壊されるのは人の命や建物ばかりでない。テレビなどでは報道されない裏側で、動物も木々も植物も虫も死んでゐる。人間だけが生きてゐるのではないことを痛烈に感じる。
先日、ある宮司さまとお電話で話した内容が、頭のなかを繰り返し過る。「ウイルスといへば、今やコロナといふ印象が強いけれど、ちょっと前は鳥インフルエンザや狂牛病のイメージが強かったよね。その時、我々人間はどんな処置をしたか?命に対して下した判断は、あまりにも命を軽んじてゐたのではないか?人間が繰り返した今までのおこなひのしっぺ返し。自然界からの警鐘とも考へられることが嘆かはしい」。
新旧の動物由来感染症が次々と発生する背景に、現代人の生活習慣や社会情勢の変化が関係してゐることは否めないだらう。利便性や快適性を求め、資源の採掘、農地の開拓、道路の整備、都市の開発を進める代償として自然や生態系が破壊されてゆく。野生動物は餌や棲みかを求めて、人間の生活圏に出没するやうになった。また、パンデミックに拍車をかけた一つの原因として、交通手段の発展による厖大な人と物の移動、都市化による人口集中などがあるとも言はれてゐる。
新型コロナウイルスが我々に及ぼす影響や問題に対して、まだまだ課題が残るなかでの今回の侵攻は衝撃的で、とても悲しいことだった。時に人は命を賭けて戦はなければならないことがあると思ふ。それぞれの責任や立場があるなかで選んだ人間のおこなひには、それぞれの理由があり、その正しさや過ちを、同じ人間が判断できるのだらうか。日一日とさまざまな情報が飛び交ふなかで、筆者が書き綴る内容では、核心を突くことなどできないだらう。
ただ、変はりめく時代のなかにあっても、今もなほ変はらずに継承されてゐる祭があることが、どれだけ尊いことなのかと、改めて感じ入り、静かに手を合はせてゐる。
長い時間をかけて、自然の恵みとともに生きてきた民族だからこそ、敬ひと調和の精神が祭や暦のなかに見出せる。先月は宮中祭祀の一つ、祈年祭が宮中をはじめ、全国各地の神社でも斎行され、五穀の豊かな稔りとともに国家安泰の祈りが捧げられた。
敬神生活の綱領の最後の一文が、心に響いてくる。「一、大御心をいただきてむつび和ら、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること」。