投稿日:2022年5月22日(日)
【暦で見る九星の運勢シリーズ】八白土星:令和4年6月(各自の九星についてはブログ末尾の表をご参照ください)「吉方:南 運気充実して意欲旺盛となり、かなり前進気分が高まりますが、あまり度を越さないように心掛けて勢いに乗り過ぎると色々と衝突もあり、危ないので八分目位を目標に歩んで」とのことです…権禰宜の遠藤です。
さて、神社界唯一の業界紙であります『神社新報』令和4年3月7日号掲載のコラム「神宮だより~明治の改暦に関するお話~」をご紹介致します。
【神宮だより~明治の改暦に関するお話~】
「本年は神宮大麻全国頒布百五十周年の佳節となります。百五十年前の神宮では明治4年におこなはれた神宮御改正による制度改革に伴ひ、大きな混乱が生じてゐましたが、この年の11月9日に「明治五年太政官布告第三百三十七号(改暦ノ布告)」が下達されました。これにより太陰暦が廃止され、太陽暦が頒行されることとなりました。
改暦は社会的にさまざまな混乱をきたしましたが、この布告により12月3日をもって明治6年1月1日と定められ、祭典については新暦に相当させることとなりました。神宮においては翌月に予定の十二月月次祭を11月に斎行する運びに。当時の「祭典課日誌」明治5年11月14日には祭典に係る諸準備物を至急取り調べたことが記されてをり、翌15日より17日に両宮で月次祭が斎行されました。
このことについては、荒木田神主で御改正後、神宮宮掌・神宮主典として謹仕された孫福弘学の神事日誌櫟陰記』にも記載されてゐます。しかしながらこの月次祭の奉幣の儀については玉串行事のみが執りおこなはれ、御幣物の御奉納は明年1月14日に斎行されました。
通常、祭典に関する神饌御料等の準備にはかなりの日数を要しますが、改暦の布告が下達されてから準備されたことを考へると、ここに多くは記されてをりませんが、かなり切迫した中で準備が進められ、難儀されたことが目に浮かびます。
また、11月31日(12月2日)、神宮において初めて勅使差遣の上、新嘗祭が斎行され、併せて新暦の御奉納がおこなはれました。そして翌日より明治6年を迎へてゐます。
因みにこの31日については11月23日「太政官布告第三百五十九号」により定められた日付で、翌日に取消されてゐますが、「祭典課日誌」にはこの日付のまま記されてゐます。」